北光社站
北光社站(日语:北光社駅/ほっこうしゃえき Hokkōsha eki */?)是位于北海道北见市北上,北海道池北高原铁道的故乡银河线车站(废站)。随着故乡银河线废线,车站在2006年(平成18年)4月21日废除[1]。
北光社 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
日语名称 | |||||||||||
北光社 – ほっこうしゃ – Hokkōsha | |||||||||||
车站概览 | |||||||||||
位置 | 日本北海道北见市北上 | ||||||||||
地理坐标 | 43°46′33.09″N 143°52′10.80″E / 43.7758583°N 143.8696667°E | ||||||||||
车站构造 | |||||||||||
站体类型 | 地面车站 | ||||||||||
站台 | 1面1线 | ||||||||||
其他信息 | |||||||||||
电报码 | ホシ | ||||||||||
历史 | |||||||||||
启用日期 | 1948年(昭和23年)5月 | ||||||||||
关闭日期 | 2006年(平成18年)4月21日[1] | ||||||||||
邻近车站 | |||||||||||
| |||||||||||
| |||||||||||
备注 | |||||||||||
随着故乡银河线废线而废站。 |
历史
编辑- 1948年(昭和23年)5月 - 运输省网走本线北光社临时乘降场(局设定)启用。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 日本国有铁道成立,成为日本国有铁道车站。
- 1959年(昭和34年)11月1日 - 升级至车站。当时为旅客车站。
- 1961年(昭和36年)4月1日 - 池田至北见之间改名为池北线,成为池北线车站[3]。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 伴随国铁分割民营化,车站由北海道旅客铁道(JR北海道)运营。
- 1989年(平成元年)6月4日 - 北海道池北高原铁道继承池北线[3][4][5][6][7]。
- 2006年(平成18年)4月21日 - 故乡银河线全线废除[1][8],此站也废除。
车站构造
编辑车站周边
编辑车站附近为住宅区。
- 北海道道27号北见津别线
- 北海商科大学北见校园(旧・北海学园北见大学)
- 北光八幡神社
- 北海道糖业北见制糖所
- 北海道北见巴士“北光社”巴士站
相邻车站
编辑注脚
编辑- ^ 1.0 1.1 1.2 北见现代史编集委员会(编集). 北見現代史. 北见市: 981页. 2007-01 (日语).
- ^ 亀畑清隆, ふるさと銀河線・駅写真集, 角川文库 电子书, 柏橹舎: 23, 2006-06, ISBN 4-434-07834-8 (日语)
- ^ 3.0 3.1 田中和夫(监修). 写真で見る北海道の鉄道. 上巻 国铁・JR线. 北海道新闻社(编集). 2002-07-15: 236–237页. ISBN 978-4-89453-220-5. ISBN 4-89453-220-4 (日语).
- ^ 田中和夫(监修). 写真で見る北海道の鉄道. 下巻 SL・青函连络船他. 北海道新闻社(编集). 2002-12-05: 222页–223页. ISBN 978-4-89453-237-3. ISBN 4-89453-237-9.
- ^ 北见现代史编集委员会(编集). 北見現代史. 北见市: 952页,954页. 2007-01 (日语).
- ^ ふるさと银河线10周年记念事业実行委员会(编集). ふるさと銀河線10年のあゆみ: 21–24页、95页. 1999-06-04 (日语).
- ^ さよなら池北線、こんにちは銀河線-JRがお別れ列車。あすから「ちほく高原鉄道」. 北海道新闻 (北海道新闻社). フォト北海道(道新写真データベース). 1989-06-03 [2016-11-25]. (原始内容存档于2016年11月25日) (日语).
- ^ 95年の旅 終着駅*銀河線*北見に最終列車. 北海道新闻 (北海道新闻社). フォト北海道(道新写真データベース). 2006-04-21 [2016-11-25]. (原始内容存档于2016年11月25日) (日语).