历任横纲列表
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历代横纲
编辑代位 | 相扑力士姓名(四股名) | 出身地 | 成为横纲 | 引退 | 优胜次数 | 土俵入り | 年寄名迹 | 连胜 | 胜率 | 备考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
初代 | あかし しがのすけ 明石志贺之助 |
宇都宫藩 (栃木县) |
不明 | 不明 | 不明 | 在京都击败仁王仁太夫,获得日下开山的称号,以此为初代横纲的根据。 然而此见解纯属参考,并没有事实表示明石确实是横纲,亦无法确认明石此人是否真实存在。 | ||||
2代 | あやがわ ごろうじ 绫川五郎次 |
下野国 (栃木县) |
不明 | 不明 | 不明 | |||||
3代 | まるやま ごんだざえもん 丸山权太左卫门 |
陆奥国 (宫城县) |
1749年 | 1749年 任内逝世 |
不明 | |||||
[3] |
4代たにかぜ かじのすけ 谷风梶之助 |
陆奥国 (宫城县) |
1789年11月 | 1794年11月 任内逝世 |
21次 | 63连胜 [4] |
0.949 | 实际上的初代横纲[5] | ||
[3] |
5代おのがわ きさぶろう 小野川喜三郎 |
近江国 (滋贺县) |
1789年11月 | 1798年10月 | 7次 | 小野川 | 32连胜 | 0.917 | ||
6代 | おうのまつ みどりのすけ 阿武松绿之助 |
能登国 (石川县) |
1828年2月 | 1835年10月 | 5次 | 阿武松 | 18连胜 | 0.821 | ||
7代 | いなづま らいごろう 稲妻雷五郎 |
常陆国 (茨城县) |
1829年9月 | 1839年11月 | 10次 | 33连胜 | 0.919 | 1828年7月に五条家免许 | ||
8代 | しらぬい だくえもん 不知火诺右卫门 |
肥后国 (熊本县) |
1840年11月 | 1844年1月 | 1次 | 凑 | 16连胜 | 0.762 | 历代横纲の中で下位番付(関胁)に陥落した唯一の横纲[6]。 | |
9代 | ひでのやま らいごろう 秀乃山雷五郎 |
陆奥国 (宫城县) |
1847年9月 | 1850年3月 | 6次 | 秀ノ山 | 30连胜 | 0.842 | ||
10代 | うんりゅう きゅうきち 云龙久吉 |
福冈县 | 1861年9月 | 1865年2月 | 7次 | 不知火型 [7] |
追手风 | 16连胜 | 0.799 | |
11代 | しらぬい こうえもん 不知火光右卫门 |
熊本县 | 1863年10月 | 1869年11月 | 3次 | 云龙型 [7] |
凑 | 16连胜 | 0.773 | |
12代 | じんまく きゅうごろう 阵幕久五郎 |
岛根县 | 1867年1月 | 1867年11月 | 5次 | 阵幕 | 25连胜 | 0.946 | 1863年1月に五条家免许[8] | |
13代 | きめんざん たにごろう 鬼面山谷五郎 |
岐阜县 | 1869年2月 | 1870年11月 | 7次 | 鬼面山 | 23连胜 | 0.856 | ||
14代 | さかいがわ なみえもん 境川浪右卫门 |
千叶县 | 1877年2月 | 1881年1月 | 5次 | 境川 | 26连胜 | 0.837 | 1876年2月に五条家免许 | |
15代 | うめがたに とうたろう 梅谷藤太郎 (初代) |
福冈县 | 1884年2月 | 1885年5月 | 9次 | 雷 | 58连胜 | 0.951 | 五条家と吉田司家から同时免许 | |
16代 | にしのうみ かじろう 西之海嘉治郎 (初代) |
鹿儿岛县 | 1890年5月 | 1896年1月 | 2次 | 井筒 | 14连胜 | 0.774 | ||
17代 | こにしき やそきち 小锦八十吉 (初代) |
千叶县 | 1896年5月 | 1901年1月 | 7次 | 二十山 | 39连胜 | 0.832 | ||
18代 | おおづつ まんえもん 大炮万右卫门 |
宫城县 | 1901年5月 | 1908年1月 | 2次 | 待乳山 | 20连胜 | 0.772 | ||
19代 [3] |
ひたちやま たにえもん 常陆山谷右卫门 |
茨城县 | 1903年6月 | 1914年5月 | 7次 | 出羽ノ海 | 32连胜 | 0.909 | 优胜次数の内訳は优胜1次,优胜相当6次 | |
20代 [3] |
うめがたに とうたろう 梅谷藤太郎 (2代) |
富山县 | 1903年6月 | 1915年6月 | 3次 | 云龙型 | 雷 | 19连胜 | 0.862 | |
21代 | わかしま ごんしろう 若岛权四郎 |
千叶县 | 1903年1月 大坂相扑で の横纲免许 |
1907年1月 | 4次 | 35连胜 | 0.737 | 优胜4次、35连胜は大阪相扑での记录 胜率は东京と大阪を合算したもの。东京に限れば0.333、大阪加入后は0.920 | ||
22代 | たちやま みねえもん 太刀山峯右卫门 |
富山县 | 1910年6月 | 1917年1月 | 11次 | 不知火型 | 东関[9] | 56连胜 | 0.878 | 优胜次数の内訳は优胜9次,优胜相当2次 |
23代 | おおきど もりえもん 大木户森右卫门 |
兵库县 | 1913年1月 大坂相扑で の横纲免许 |
1914年1月 | 10次 [10] |
凑 | 28连胜 | 0.877 | 1910年大坂相扑が独断で横纲免许。 优胜10次、28连胜、胜率は大阪相扑での记录。 | |
24代 | おおとり たにごろう 凤谷五郎 |
千叶县 | 1914年6月 | 1919年5月 | 2次 | 云龙型 | 宫城野 | 14连胜 | 0.688 | |
25代 | にしのうみ かじろう 西之海嘉治郎 (2代) |
鹿儿岛县 | 1915年5月 | 1918年5月 | 1次 | 云龙型 | 井筒 | 14连胜 | 0.736 | |
26代 | おおにしき ういちろう 大锦卯一郎 |
大阪府 | 1917年5月 | 1923年1月 | 5次 | 云龙型 | 28连胜 | 0.881 | ||
27代 | とちぎやま もりや 栃木山守也 |
栃木县 | 1918年2月 | 1925年5月 | 9次 | 云龙型 | 春日野 | 29连胜 | 0.878 | |
28代 | おおにしき だいごろう 大锦大五郎 |
爱知县 | 1918年5月 大坂相扑で の横纲免许 |
1922年1月 | 6次 | 云龙型 | 朝日山 (后に返上) |
11连胜 | 0.765 | 优胜6次、11连胜、胜率は大阪相扑での记录 初代~3代目を除く历代横纲の中で最も连胜记录が少ない。 东京相扑の横纲・大関に歯が立たなかったことから“历代最弱横纲”と评されることがある。 |
29代 | みやぎやま ふくまつ 宫城山福松 |
岩手县 | 1922年2月 大坂相扑で の横纲免许 |
1931年3月 | 6次 | 云龙型 | 芝田山 | 15连胜 | 0.671 | 15连胜は大阪相扑での记录 优胜は大坂相扑で4次、东京加入后に2次 胜率は大阪と东京を合算したもの。大阪に限れば0.803、东京加入后は0.566 |
30代 | にしのうみ かじろう 西之海嘉治郎 (3代) |
鹿儿岛县 | 1922年5月 | 1928年10月 | 1次 | 云龙型 | 浅香山 | 14连胜 | 0.691 | |
31代 | つねのはな かんいち 常乃花宽市 |
冈山县 | 1924年1月 | 1930年10月 | 10次 | 云龙型 | 出羽海 | 15连胜 | 0.792 | |
32代 | たまにしき さんえもん 玉锦三右卫门 |
高知县 | 1933年1月 | 1938年5月 场所后 任内逝世 |
9次 | 云龙型 | 二所之关 | 27连胜 | 0.770 | |
33代 | むさしやま たけし 武藏山武 |
神奈川县 | 1936年1月 | 1939年5月 | 1次 | 云龙型 | 出来山 →不知火[9] |
13连胜 | 0.716 | |
34代 | みなのがわ とうぞう 男女之川登三 |
茨城县 | 1937年1月 | 1942年1月 | 2次 | 云龙型 | 男女ノ川[9] | 16连胜 | 0.645 | |
35代 | ふたばやま さだじ 双叶山定次 |
大分县 | 1938年1月 | 1945年11月 | 12次 | 云龙型 | 双叶山→时津风 | 69连胜 | 0.802 | |
36代 | はぐろやま まさじ 羽黑山政司 |
新潟县 | 1942年1月 | 1953年9月 | 7次 | 不知火型 | 羽黒山→立浪 | 32连胜 | 0.773 | |
37代 [3] |
あきのうみ せつお 安艺乃海节男 |
广岛县 | 1943年1月 | 1946年11月 | 1次 | 云龙型 | 藤岛[9] | 20连胜 | 0.706 | |
38代 [3] |
てるくに まんぞう 照国万藏 |
秋田县 | 1943年1月 | 1953年1月 | 2次 | 云龙型 | 伊势ヶ滨 | 17连胜 | 0.749 | |
39代 | まえだやま えいごろう 前田山英五郎 |
爱媛县 | 1947年11月 | 1949年10月 场所后 不祥事により 引退表明 |
1次 | 云龙型 | 高砂 | 13连胜 | 0.665 | |
40代 | あずまふじ きんいち 东富士钦壹 |
东京都 | 1949年1月 | 1954年9月 | 6次 | 云龙型 | 锦戸[9] | 16连胜 | 0.715 | |
41代 | ちよのやま まさのぶ 千代之山雅信 |
北海道 | 1951年9月 | 1959年1月 | 6次 | 云龙型 | 千代の山→九重 | 16连胜 | 0.711 | |
42代 | かがみさと きよじ 镜里喜代治 |
青森县 | 1953年3月 | 1958年1月 场所终了直后 に引退表明 |
4次 | 云龙型 | 镜里 →粂川 →立田川 →时津风 →立田川 →二十山 |
17连胜 | 0.688 | |
43代 | よしばやま じゅんのすけ 吉叶山润之辅 |
北海道 | 1954年3月 | 1958年1月 | 1次 | 不知火型 | 吉叶山 →宫城野 |
15连胜 | 0.668 | |
44代 | とちにしき きよたか 栃锦清隆 |
东京都 | 1955年1月 | 1960年5月 | 10次 | 云龙型 | 春日野 | 24连胜 | 0.716 | |
45代 | わかのはな かんじ 若乃花干士 (初代) |
青森县 | 1958年3月 | 1962年3月 次场所の番付 発表后、初日 前に引退表明 |
10次 | 云龙型 | 二子山 →藤岛 |
24连胜 | 0.699 | |
46代 | あさしお たろう 朝潮太郎 (3代) |
鹿儿岛县 | 1959年5月 | 1961年11月 次场所の番付 発表后、初日 前に引退表明 |
5次 | 云龙型 | 朝潮 →振分 →高砂 |
12连胜 | 0.635 | |
47代 [3] |
かしわど つよし 柏户刚 |
山形县 | 1961年11月 | 1969年7月 | 5次 | 云龙型 | 镜山 | 15连胜 | 0.714 | |
48代 [3] |
たいほう こうき 大鹏幸喜 |
北海道 | 1961年11月 | 1971年5月 | 32次 | 云龙型 | 大鹏 | 45连胜 | 0.838 | |
49代 | とちのうみ てるよし 栃乃海晃嘉 |
青森县 | 1964年3月 | 1966年11月 | 3次 | 云龙型 | 栃ノ海 →中立 →春日野 →竹縄 |
17连胜 | 0.635 | |
50代 | さだのやま しんまつ 佐田之山晋松 |
长崎县 | 1965年3月 | 1968年3月 | 6次 | 云龙型 | 出羽海 →境川 →中立 |
25连胜 | 0.726 | |
51代 [3] |
たまのうみ まさひろ 玉之海正洋 |
爱知县 | 1970年3月 | 1971年9月 场所后 任内逝世 |
6次 | 不知火型 | 19连胜 | 0.680 | ||
52代 [3] |
きたのふじ かつあき 北之富士胜昭 |
北海道 | 1970年3月 | 1974年7月 | 10次 | 云龙型 | 井筒 →九重 →阵幕[9] |
21连胜 | 0.668 | |
53代 | ことざくら まさかつ 琴樱杰将 |
鸟取县 | 1973年3月 | 1974年5月 次场所の番付 発表后、初日 前に引退表明 |
5次 | 不知火型 | 白玉 →佐渡ヶ岳 |
18连胜 | 0.616 | |
54代 | わじま ひろし 轮岛大士 |
石川县 | 1973年7月 | 1981年3月 | 14次 | 云龙型 | 花笼[9] | 27连胜 | 0.744 | |
55代 | きたのうみ としみつ 北之湖敏满 |
北海道 | 1974年9月 | 1985年1月 | 24次 | 云龙型 | 北の湖 | 32连胜 | 0.765 | |
56代 | わかのはな かんじ 若乃花干士 (2代) |
青森县 | 1978年7月 | 1983年1月 | 4次 | 云龙型 | 若乃花 →间垣[9] |
26连胜 | 0.686 | |
57代 | みえのうみ つよし 三重乃海刚司 |
三重县 | 1979年9月 | 1980年11月 | 3次 | 云龙型 | 山科 →武蔵川 |
24连胜 | 0.568 | |
58代 | ちよのふじ みつぐ 千代之富士贡 |
北海道 | 1981年9月 | 1991年5月 | 31次 | 云龙型 | 阵幕 →九重 |
53连胜 | 0.761 | |
59代 | たかのさと としひで 隆之里俊英 |
青森县 | 1983年9月 | 1986年1月 | 4次 | 不知火型 | 鸣戸 | 21连胜 | 0.597 | |
60代 | ふたはぐろ こうじ 双羽黑光司 |
三重县 | 1986年9月 | 1987年11月 次场所の番付 発表后、初日前 不祥事により 廃业を表明 |
なし | 不知火型 | 13连胜 | 0.694 | 历代横纲唯一没优胜经验者[11] | |
61代 | ほくとうみ のぶよし 北胜海信芳 |
北海道 | 1987年 | 7月1992年3月 次场所の番付 発表后、初日 前に引退表明 |
8次 | 云龙型 | 北胜海 →八角 |
20连胜 | 0.693 | |
62代 | おおのくに やすし 大乃国康 |
北海道 | 1987年11月 | 1991年7月 | 2次 | 云龙型 | 大乃国 →芝田山 |
19连胜 | 0.651 | |
63代 | あさひふじ せいや 旭富士正也 |
青森县 | 1990年9月 | 1992年1月 | 4次 | 不知火型 | 旭富士 →安治川 →伊势ヶ滨 |
24连胜 | 0.637 | |
64代 | あけぼの たろう 曙太郎 |
美国夏威夷 | 1993年3月 | 2001年1月场所 比赛结束后 宣布退役 |
11次 | 云龙型 | 曙[9] | 16连胜 | 0.741 | 第一名外籍横纲(1996年4月归化为日本籍) |
65代 | たかのはな こうじ 贵乃花光司 |
东京都 | 1995年1月 | 2003年 | 1月22次 | 云龙型 | 贵乃花 | 30连胜 | 0.764 | |
66代 | わかのはな まさる 若乃花胜 |
东京都 | 1998年7月 | 2000年3月 | 5次 | 不知火型 | 藤岛[9] | 14连胜 | 0.661 | |
67代 | むさしまる こうよう 武藏丸光洋 |
美属萨摩亚 | 1999年7月 | 2003年11月 | 12次 | 云龙型 | 武藏丸 →振分 →大岛 →武蔵川 |
22连胜 | 0.726 | 1996年1月归化为日本籍,横纲昇进时已是日本人 |
68代 | あさしょうりゅう あきのり 朝青龙明德 |
蒙古乌兰巴托 | 2003年3月 | 2010年1月场所后 因打人丑闻 宣布退役 |
25次 | 云龙型 | 35连胜 | 0.796 | 第一位蒙古出身横纲 | |
69代 | はくほう しょう 白鹏翔 |
蒙古乌兰巴托 | 2007年7月 | 2021年9月 | 44次 | 不知火型 | 白鹏
→间垣 →宫城野 |
63连胜 | 0.848 | 2019年9月归化为日本籍 |
70代 | はるまふじ こうへい 日马富士公平 |
蒙古乌兰巴托 | 2012年11月 | 2017年11月场所后 因打人丑闻 宣布退役 |
9次 | 不知火型 | 32连胜 | 0.656 | ||
71代 | かくりゅう りきさぶろう 鹤龙力三郎 |
蒙古苏赫巴托尔省 | 2014年5月 | 2021年3月 | 6次 | 云龙型 | 鹤龙
→陆奥 →音羽山 |
16连胜 | 0.621 | 2020年12月归化为日本籍 |
72代 | きせのさと ゆたか 稀势之里宽 |
茨城县 | 2017年3月 | 2019年1月 | 2次 | 云龙型 | 荒矶
→二所ノ関 |
16连胜 | 0.612 | 21世纪第一位日本出身横纲、平成年间晋升横纲的最后一人 |
73代 | てるのふじ はるお 照之富士春雄 |
蒙古乌兰巴托 | 2021年9月 | 现役 | 10次 | 不知火型 | 15连胜 | 0.601 | 令和第一位横纲、第一位在平成年代出生的横纲。2021年8月归化为日本籍 |
参见
编辑参考文献
编辑- ^ 江户时代的横纲人数以及晋昇顺序说法不一。现在日本相扑协会的横纲列表以1900年阵幕久五郎在富冈八幡宫建立的“横纲力士碑”为准,本条目亦如此。亦有说法是第一至三任时期,横纲的制度尚未正式设立。此外,在横纲力士碑上,宽政时期最强的大关雷电为右卫门以“无类力士”的名义与其他横纲同列。
- ^ 现在の云龙型、不知火型土俵入りが定まった型となったのは、それぞれの土俵入りの完成者である第20代横纲・梅ヶ谷(2代)、第22代横纲・太刀山以降。第10代横纲・云龙から第19代横纲・常陆山までの横纲土俵入りの型は、原型又は现在の云龙型、不知火型とは多少异なる云龙型、不知火型。第4代横纲・谷风から第9代横纲・秀ノ山あたりまでは后の横纲土俵入りの原型となる型で横纲土俵入りをしていた。
- ^ 3.00 3.01 3.02 3.03 3.04 3.05 3.06 3.07 3.08 3.09 谷风と小野川、常陆山と2代目梅ヶ谷、安艺ノ海と照国、柏戸と大鹏、玉の海と北の富士は横纲同时昇进。それぞれ引退の早かった方に若い代数が与えられている(但し谷风と玉の海の二人は现役中に死去)。
- ^ 谷风梶之助の63连胜という记录は一般に江戸本场所のみの63连胜を指すが、江戸本场所・京都本场所・大坂本场所まで含めれば98连胜となる。98连胜は现在(2013年时点)でもいまだ破られていない最多连胜记录である。
- ^ "谷风梶之助" - デジタル大辞泉, 2010年11月1日
- ^ 当时は横纲が固定の番付として确立されておらず、あくまでも大関が最高位であったため、制度上は横纲からの陥落も在り得た。
- ^ 7.0 7.1 云龙型の考案者は第11代横纲・不知火(光)、不知火型の考案者は第10代横纲・云龙であり、现在新闻などで一般に记される考案者とは逆という考えが通说。
- ^ 横纲免许后本场所出场なし。
- ^ 9.00 9.01 9.02 9.03 9.04 9.05 9.06 9.07 9.08 9.09 年寄袭名后に相扑协会を定年前に退职
- ^ 大坂相扑での最多优胜次数
- ^ 第一至三代及未有优胜制度时的横纲除外
外部链接
编辑- Yokozuna list at the Japanese Sumo Association (English) (Japanese)