白山 (文京区)
白山(日语:白山/はくさん Hakusan */?)是东京都文京区的町名[1]。现行行政地名为白山一丁目至白山五丁目。2013年8月1日为止的居住人口有17,648人[2]。邮递区号为113-0001(一丁目)、112-0001(二丁目至五丁目)。
白山 | |
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町 | |
白山站A3出入口(2016年6月2日) | |
坐标:35°43′18″N 139°44′57″E / 35.72156°N 139.74914°E | |
国家 | 日本 |
都道府县 | 东京都 |
特别区 | 文京区 |
人口(2013年(平成25年)8月1日) | |
• 总计 | 17,648人 |
时区 | JST(UTC+9) |
邮递区号 | 113-0001 112-0001 |
地理
编辑白山邻接西片、向丘、本驹込、千石、小石川等地。主要为住宅地。
主要的商业地集中于都营地下铁三田线白山站周边,位于南北向药师坂顶部的地域称白山上,底部称白山下。此地有许多中学、高校、大学等教育机关聚集。
地价
编辑根据2014年(平成26年)1月1日的公告地价,白山4-28-18的住宅地价为68万5000日圆/m2。
历史
编辑江户时代以前属武藏国丰岛郡小石川村、驹込村。1878年7月施行郡区町村编制法施行,分别编入石川区、本乡区。1889年5月市制施行,编入东京市。1947年编入文京区。1967年1月实施住居表示,丸山新町、指谷町、户崎町、白山御殿町、白山前町、原町等合并成立白山一-五丁目。
1丁目的圆乘寺有八百屋于七(妙容禅定尼)之墓。2丁目的白山通在明治时期是铭酒屋街,白山通西侧低湿地(现在白山1丁目一部分)在大正至昭和初期是白山花街(三业地)所在地[3][4]。明治时期,秋本铁五郎在鸠山和夫(鸠山一郎之父)与地方政治家支援下向警视厅申请指定为三业地,明治45年(1912年)“白山三业地”成立。之后逃过关东大震灾,大正中期以后周边发展迅速[5][6]。
地名由来
编辑设施
编辑此地可见以小石川为名的设施,是源自于此地为旧小石川区。
- 东京消防厅小石川消防署
- 文京白山下邮便局
- 文京白山五邮便局
- 东洋大学白山校区、白山第2校区
- 京北中学校、高等学校
- 京北学园白山高等学校
- 京华中学校、高等学校
- 京华女子中学校、高等学校
- 京华商业高等学校
- 文京区立指谷小学校
- 爱星幼稚园
- 白山保育园
- 小石川植物园(东京大学大学院理学系研究科附属植物园)
- 东京大学总合研究博物馆小石川分馆
- 白山公园
- 延寿院 - 日莲宗。
- 圆乘寺 - 天台宗。
- 净心寺 - 日莲宗。
- 念速寺 - 真宗大谷派。
- 喜运寺 - 曹洞宗。
- 法传寺 - 净土宗。
- 安闲寺 - 真宗大谷派。
- 大云寺 - 净土宗。
- 是照院 - 临济宗妙心寺派。
- 岩净院 - 净土宗。
- 莲华寺 - 日莲宗。
- 新福寺 - 真宗大谷派。
- 本念寺 - 日莲宗。
- 妙传寺 - 日莲宗。
- 净土寺 - 净土宗。
- 龙泉寺 - 天台宗。
- 寂圆寺 - 真宗大谷派。
- 莲久寺 - 日莲宗。
- 伦道观寺 - 单立。
- 大乘寺 - 日莲宗。
- 最乘寺东京别院 - 为神奈川县南足柄市大雄町曹洞宗寺院最乘寺的别院。
- 妙清寺 - 曹洞宗。
- 心光寺 - 净土宗。
- 龙云院 - 临济宗圆觉寺派。
- 白山神社
- 浅间神社
备注
编辑- ^ ‘角川日本地名大辞典 13 东京都’、角川书店、1991年再版、P991
- ^ 町丁別世帯・人口(住民基本台帳)(毎月1日現在). [2013-08-06]. (原始内容存档于2013-05-13).
- ^ 近代东京における花街の成立 (页面存档备份,存于互联网档案馆)西村亮彦・内藤广・中井祐、东京大学院论文, 景観・デザイン研究讲演集, 2008/12
- ^ 东京・白山は、やばい街だ (页面存档备份,存于互联网档案馆)三浦展、ビジネスジャーナル、2018.04.26
- ^ ‘东京大学が文京区になかったら: “文化のまち”はいかに生まれたか’伊藤毅、 桦山纮一、 初田香成、 桥元贵、 森朋久、 松山恵、 赤松加寿江、 胜田俊辅、NTT出版, 2018, p100-101
- ^ ‘文京の町・今昔’8 白山旧花街・消えたお不动さん (页面存档备份,存于互联网档案馆)井上重臣、公益社団法人东京都宅地建物取引业协会、文京区支部报555号、平成18年7月