小池卯一郎(日语:小池 卯一郎こいけ ういちろう Koike Uichirō,1891年3月[1]—1972年4月2日[2])是日本实业家、官选和歌山县日语和歌山県庁知事日语都道府県知事

经历

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小池卯一郎出生于福井縣大野郡大野町日语大野町 (福井県)(现大野市),是小池末五郎的长子。家族世代从事纺织业,他父亲则是以制作烟草为业。[3]小池卯一郎从神户高等商业学校日语神戸商業大学 (旧制)毕业后,[3]又于1914年从东京高等商业学校日语東京商科大学 (旧制)(现一橋大學)毕业。同年11月通过高等文官行政科考试日语高等文官試験[4]加入大阪商船公司,[1]在公司内历任神户分公司南洋课课长、总公司船客课课长、秘书等职务,1922年离职[2]

后他成为中橋德五郎日语中橋徳五郎的秘书。1927年4月中桥就任田中義一內閣商工大臣日语商工省,小池随中桥任该职的秘書官日语秘書官。1929年7月离任,同年11月加入宇治川电气株式会社[2][3],历任调查课课长、总务课课长、营业课课长、营业部部长、经理、常务董事等职[1]。1939年,兼任宇治川电化学工业株式会社社长、日本电气自动车制造株式会社社长[2]。1941年调入日本发送电株式会社,任劳动部部长。他还担任过大日本产业报国会日语大日本産業報国会理事和中央劳动协议会常任委员。1945年6月,任北支那开发株式会社理事,不久因日本战败、公司解散而退休。[2]

1945年10月,应政府要求,出任和歌山县日语和歌山県庁知事。[1][2]1946年1月暂时停职,[5]同年8月28日,受公職追放影响而离职。[6]

此后,应冲绳美军司令部要求,担任高级专员顾问。[2]

脚注

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  1. ^ 1.0 1.1 1.2 1.3 『新編日本の歴代知事』748頁。
  2. ^ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 『和歌山県史 人物』179頁。
  3. ^ 3.0 3.1 3.2 『人事興信録』第13版 上、コ1頁。
  4. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』209頁。
  5. ^ 『官報』第5711号、昭和21年1月29日。
  6. ^ 『官報』第5893号、昭和21年9月4日。

参考文献

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  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 和歌山県史編さん委員会編『和歌山県史 人物』和歌山県、1989年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第13版 上、1941年。