田艇吉(でん ていきち,1852年10月18日—1938年11月17日),楓軒松鶴日本山陰道丹波國冰上郡下小倉村(今兵庫縣丹波市柏原町下小倉)人,冰上郡長、眾議院議員

田艇吉
田艇吉
眾議院
議員
任期
1891年1月17日—1897年12月25日
選區兵庫縣3區
個人資料
出生嘉永五年九月六日
(1852-10-18)1852年10月18日
江戶幕府山陰道丹波國冰上郡下小倉村
(今 日本兵庫縣丹波市柏原町下小倉)
逝世1938年11月17日(1938歲—11—17)(86歲)
政黨無黨籍→)
自由黨日語自由党 (日本 1890-1898)
兒女田昌日語田昌(子)
小谷哲(子)
園田寛日語園田寛(子)
父母田文平(父)
親屬田健治郎(弟)
小谷正雄日語小谷正雄(孫)
小谷正博日語小谷正博(曾孫)
田篤(姪)
田誠(姪)
田正(姪)
田勤(姪)
田勳(姪)
武田芳子(姪女)
安場輝子(姪女)
町田雅子(姪女)
野村季子(姪女)
吉田平吾(婿)
大木彝雄日語大木彝雄(婿)
生駒高常(婿)
武田額三日語武田額三(姪婿)
安場保健日語安場保健(姪婿)
町田襄治(姪婿)
野村正二郎(姪婿)
田健一(姪孫)
田英夫日語田英夫(姪孫)
專業文官代議士

經歷

編輯

生於丹波國氷上郡柏原藩領的下小倉村(今兵庫縣丹波市柏原町下小倉),是田文平的長子。8歲起跟隨村裏的醫生長沢順方學習讀書,12歲的時候進入小島省齋。

明治12年(1879年)當選第一期縣會議員。之後、歷任氷上郡書記、氷上郡長、當選眾議院議員。盡力協助鐘ヶ坂トンネル與阪鶴鉄道的開通。

明治37年(1904年),就任阪鶴鉄道株式會社取締役社長。

昭和13年(1938年)11月17日,因腦溢血過世,享年87歲。

西日本旅客鉄道(JR西日本)為了表彰紀念艇吉的功績,便在福知山線柏原車站日語柏原駅 (兵庫県)前樹立一個艇吉的銅像。銅像台座的「田 艇吉翁」題字是由若槻禮次郎所揮毫。