法住寺合戰
法住寺合戰(法住寺合戦),是壽永2年11月19日(1184年1月3日),木曾義仲襲撃院御所・法住寺殿,幽閉後白河法皇和後鳥羽天皇,掌握政權的軍事政變。平安時代末期治承・壽永之亂的戰役之一。
法住寺合戰 | |||||||
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治承・壽永之亂的一部分 | |||||||
法住寺 | |||||||
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參戰方 | |||||||
後白河法皇 | 源氏 | ||||||
指揮官與領導者 | |||||||
平知康 | 源義仲 | ||||||
兵力 | |||||||
20,000餘騎(平家物語) | 7,000餘騎(平家物語) | ||||||
傷亡與損失 | |||||||
630餘名(平家物語) 100餘名(吉記) | 不明 |
參考文獻
編輯- 上杉和彥 『戦爭の日本史 6 源平の爭亂』 吉川弘文館、2007年。
- 関幸彥・福田豊彥編著 『源平合戦事典』 吉川弘文館、2006年。
- 歴史と文學の會・志村有弘共編 『合戦騒動事典』 勉誠出版、2005年。
- 河內祥輔 『頼朝の時代 一一八〇年代內亂史』 平凡社、1990年。