曙太郎
曙太郎(日語:曙 太郎/あけぼの たろう Akebono Tarō,1969年5月8日—2024年4月6日),原名查德·喬治·哈希奧·羅溫(英語:Chad George Haaheo Rowan)[1],是一位日本相撲力士、綜合格鬥與職業摔角運動員,出生於美國夏威夷州懷馬納洛。他是第64代橫綱、首位外國人橫綱。曙太郎在1988年3月初登場,2001年1月退休。1996年4月22日已歸化取得日本籍[2]。2024年4月6日逝世,享年54歲[3]。
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四股名 | 曙太郎 | |||
本名 | 英語:Chad George Haaheo Rowan 日語:曙太郎 | |||
暱稱 | チャド、ボノ | |||
出生 | 1969年5月8日 | |||
去世 | 2024年4月6日 | (54歲)|||
出生地 | 美國夏威夷州火奴魯魯市縣北庫洛波科懷馬納洛 | |||
身高 | 204cm | |||
體重 | 233kg | |||
BMI | 55.99 | |||
所屬部屋 | 東関部屋 | |||
得意技 | 突き、押し、右四つ、寄り | |||
成績 | ||||
目前排名 | 引退 | |||
最高等級 | 第64代橫綱 | |||
終生戰績 | 654勝232敗181休(78場所) | |||
幕內戰績 | 566勝198敗181休(63場所) | |||
冠軍 | 幕內優勝11次 | |||
資料 | ||||
首次登場 | 1988年3月場所 | |||
晉升幕內 | 1990年9月場所 | |||
引退 | 2001年1月場所 | |||
引退後擔任 | 綜合格鬥士、摔跤手 | |||
興趣愛好 | 睡覺、烹飪 | |||
備註 | ||||
金星4個(旭富士正也2個、大乃國康1個、北勝海信芳1個) | ||||
*資料於2014年3月17日更新。 |
所別成績
編輯- 566勝198敗181休
- 優勝11回、殊勲賞4回、敢闘賞2回、金星4個
1月場所 初場所(東京) |
3月場所 春場所(大阪) |
5月場所 夏場所(東京) |
7月場所 名古屋場所(愛知) |
9月場所 秋場所(東京) |
11月場所 九州場所(福岡) |
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1988年 (昭和63年) |
x | (前相撲) | 東 序之口 #19 6–1 |
東 序二段 #97 5–2 |
東 序二段 #52 5–2 |
西 序二段 #15 6–1 |
1989年 (平成元年) |
東 三段目 #60 5–2 |
東 三段目 #33 6–1 |
西 幕下 #55 6–1 |
東 幕下 #28 5–2 |
西 幕下 #14 5–2 |
東 幕下 #5 5–2 |
1990年 (平成2年) |
東 幕下 #2 4–3 |
西 十兩 #12 8–7 |
西 十兩 #10 11–4 |
東 十兩 #3 11–4 |
東 前頭 #14 9–6 |
西 前頭 #7 9–6 敢 |
1991年 (平成3年) |
西 前頭 #1 8–7 殊★ |
東 小結 8–7 殊 |
西 關脇 7–8 |
東 前頭 #1 8–7 ★★ |
西 小結 7–8 |
西 前頭 #1 8–7 ★ |
1992年 (平成4年) |
西 小結 13–2 殊敢 |
東 關脇 8–7 |
西 關脇 13–2 殊 |
東 大關 #1 休場 0–0–15[注 1] |
東 張出大關 9–6[注 2] |
西 大關 #1 14–1 |
1993年 (平成5年) |
東 大關 #1 13–2 |
東 橫綱 10–5 |
東 橫綱 13–2 |
東 橫綱 13–2[注 3] |
東 橫綱 14–1 |
東 橫綱 13–2[注 4] |
1994年 (平成6年) |
東 橫綱 11–4 |
東 橫綱 12–3[注 5] |
東 橫綱 10–2–3[注 6] |
東 橫綱 休場 0–0–15[注 7] |
東 橫綱 休場 0–0–15[注 8] |
東 橫綱 10–5 |
1995年 (平成7年) |
西 橫綱 12–3 |
西 橫綱 14–1 |
東 橫綱 13–2 |
西 橫綱 11–4 |
西 橫綱 12–3 |
西 橫綱 7–3–5[注 9] |
1996年 (平成8年) |
西 橫綱 0–3–12[注 10] |
西 橫綱 休場 0–0–15[注 11] |
西 橫綱 10–5 |
西 橫綱 12–3 |
西 橫綱 10–5 |
西 橫綱 11–4[注 12] |
1997年 (平成9年) |
東 橫綱 12–3 |
西 橫綱 12–3[注 13] |
西 橫綱 13–2[注 14] |
西 橫綱 12–3 |
西 橫綱 9–6 |
西 橫綱 休場 0–0–15[注 15] |
1998年 (平成10年) |
西 橫綱 10–5 |
東 橫綱 13–2 |
東 橫綱 10–5 |
東 橫綱 11–4 |
西 橫綱 10–5 |
東 橫綱 #2 休場 0–0–15[注 16] |
1999年 (平成11年) |
東 橫綱 #2 休場 0–0–15[注 17] |
東 橫綱 #2 休場 0–0–15[注 18] |
東 橫綱 #2 11–4 |
東 橫綱 13–2[注 19] |
東 橫綱 2–2–11[注 20] |
東 橫綱 #2 休場 0–0–15[注 21] |
2000年 (平成12年) |
西 橫綱 #2 11–4 |
西 橫綱 12–3 |
東 橫綱 13–2 |
東 橫綱 13–2 |
東 橫綱 13–2 |
西 橫綱 14–1 |
2001年 (平成13年) |
東 橫綱 休場 0–0–15[注 22] |
引退 ––[注 23] |
x | x | x | x |
各欄數字按「勝-負-休場」表示。 優勝 引退 十兩・幕下 三賞:敢=敢鬬賞、殊=殊勛賞、技=技能賞 其他:★=金星 |
- ^ 右足第5中足骨骨折により全休
- ^ 大関角番
- ^ 貴ノ花(のち貴乃花)・若ノ花(のち3代・若乃花)と優勝決定戦
- ^ 武蔵丸と優勝決定戦
- ^ 貴ノ浪・貴闘力と優勝決定戦
- ^ 左膝內側半月板損傷・右膝関節內障により12日目より途中休場
- ^ 両膝內側半月板斷裂・左大腿骨軟骨損傷により全休
- ^ 先場所についで、両膝內側半月板斷裂・左大腿骨軟骨損傷により全休
- ^ 左大腿外側四頭筋不全斷裂により10日目より途中休場
- ^ 右膝関節內障及び水腫により3日目より途中休場
- ^ 先場所についで右膝関節內障及び水腫により全休
- ^ 3代若乃花・武蔵丸・貴ノ浪・魁皇と優勝決定戦
- ^ 貴乃花・武蔵丸・魁皇と優勝決定戦
- ^ 貴乃花と優勝決定戦
- ^ 左膝半月板及び左膝軟骨損傷により全休
- ^ 腰椎分離症・変形性脊椎症により全休
- ^ 先場所についで、腰椎椎間板ヘルニアにより全休
- ^ 3場所連続で、腰椎椎間板ヘルニアにより全休
- ^ 出島と優勝決定戦
- ^ 左大腿內転筋挫傷により4日目より途中休場
- ^ 先場所についで、左大腿內転筋挫傷により全休
- ^ 両膝変形性膝関節症により全休
- ^ 1月場所終了直後に引退を表明
參考
編輯- ^ Ardolino, Frank. Dawson, Dawn P , 編. Great Athletes 1 Revised. Salem Press. 2002: 23–25 [1992]. ISBN 1-58765-008-8.
- ^ 『「年寄」への條件一つ越えた 帰化の曙 本名は曙太郎 「、」とりました』朝日新聞東京本社版1996年4月23日付朝刊25面
- ^ 曙太郎さんが心不全で死去 享年54 全日本プロレス「曙さんのファイトや人柄は多くのファンを魅了してきました」. ORICON NEWS. 2024-04-11 [2024-04-11]. (原始內容存檔於2024-04-24) (日語).
連結
編輯- Profile at Japan Sumo Association
- Akebono在互聯網電影資料庫(IMDb)上的資料(英文)
- Profile at K-1
- AJPW Profile (Japanese)
- VSplanet.net Profile (頁面存檔備份,存於互聯網檔案館) (Russian)