尾崎纪世彦(1943年1月1日-2012年5月30日),日本歌手,有日本版汤姆·琼斯之称。

尾崎 纪世彦
男歌手
昵称喜代
出生
尾崎 纪世彦

(1943-01-01)1943年1月1日
 日本东京都涩谷区
逝世2012年5月30日(2012岁—05—30)(69岁)
 日本东京都
职业歌手
音乐类型流行音乐
活跃年代1960年代-2012年

人物简介

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尾崎纪世彦出生于东京都涩谷区,在神奈川县茅崎市成长,外祖父是英国人[1][2][3][4]

少年时期即开始接触音乐,跟中学同学以及朋友组过乐队。1970年发行第一张个人专辑‘别れの夜明け’。

1971年发行的‘また逢う日まで’不仅是尾崎在歌坛的成名曲也是其一生的代表作。这首由阿久悠作词、筒美京平作曲的曲目,夺得当年第13届日本唱片大奖最大奖及第2届日本歌谣大奖最大奖,更使尾崎获邀参与年底举办的第22届NHK红白歌合战

2012年5月30日,因肝脏癌病逝于东京都的一家医院,享年69岁[5][6]。12月30日,获第54回日本唱片大奖特别功劳奖[7]

NHK红白歌合战出场历

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年度/回数 曲目 出演顺 对战歌手 备注
1971年(昭和46年)/第22回 また逢う日まで 01/25 南沙织 首次出场
1972年(昭和47年)/第23回 2 ゴッドファーザー~爱のテーマ 08/23 山本リンダ
1990年(平成2年)/第41回 3 また逢う日まで 08/29 オユンナ 18年来再次出场

参考文献

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  1. ^ 日本洋舞史年表 I 1900-1959页面存档备份,存于互联网档案馆) 8页 1919 - 藤田繁(藤田彰彦の父) - 発行 新国立剧场
  2. ^ 日本バレエ界に忘れえぬ足迹を印した人々页面存档备份,存于互联网档案馆) 藤田繁はエリアナ・パヴロワ门下生。- 日本バレエ协会
  3. ^ エリェナ パァヴロヴァ顕彰会页面存档备份,存于互联网档案馆) - Photo Gallery 最初の弟子・藤田繁《ジプシーの恋》
  4. ^ 日本のバレエの母 エリェナ・パァヴロヴァ先生を称えて★特别企画页面存档备份,存于互联网档案馆) - 青少年のためのバレエコンクール“ザ・バレコン”
  5. ^ 尾崎纪世彦さん死去“また逢う日まで”页面存档备份,存于互联网档案馆) - 日刊スポーツ 2012年6月2日阅覧
  6. ^ 尾崎纪世彦さん追悼“生歌素晴らしく…”页面存档备份,存于互联网档案馆) - 日刊スポーツ 2012年6月2日阅覧
  7. ^ 日本作曲家协会:日本レコード大赏页面存档备份,存于互联网档案馆) 特别功労赏 尾崎纪世彦