第10飛行師團 (日本陸軍)

第10飞行师团 (日本陆军)
存在时期1944年(昭和19年)3月8日 至 1945年(昭和20年)
国家或地区大日本帝国
军种陆军航空队
兵种或 种类 =
隶属于大日本帝国陆军
驻地东京
别称天翔
参与战役太平洋战争

第10飞行师団(だいじゅうひこうしだん)は、日本陆军航空师団のひとつ。主として京浜日语京浜地区の防空にあたった。

沿革

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1944年(昭和19年)3月8日、军令陆甲第27号により编成开始。京浜地区の防空のため东京都北多摩郡调布飞行场に置かれた第17飞行団司令部を第10飞行师団司令部に改変し、同月10日编成を完结した[1]。编成当初は佐藤正一少将が师団长心得[2]に补されたが、短期间のうちに第1航空军参谋长であった吉田喜八郎少将と交代した。また同飞行师団は紧急性の高い防空部队の性质上、指挥の结节を少なくすることを主な理由として师団の下に飞行団を设けず师団长が各飞行戦队を直接指挥した[3]

同年11月初头からは来袭するB-29に体当たりを含めた迎撃にあたった(震天制空队日语震天制空隊)。

1945年(昭和20年)5月、司令部を竹桥に移転させ、第12方面军司令部、高射第1师団日语高射第1師団 (日本軍)との连络の紧密化を図った。

师団概要

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历代师団长

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最终司令部构成

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  • 参谋长:笹尾宏大佐
    • 参谋:山本茂男少佐
    • 参谋:栂博少佐
    • 参谋:岩下徳治少佐
  • 高级副官:吉田义倶少佐
  • 兵器部长:石原政雄中佐
  • 経理部长:松崎乔主计大佐 
  • 军医部长:园田太郎军医大佐 

最终所属部队

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戦闘部队
  • 飞行第18戦队(五式戦):黒田武文少佐
  • 飞行第23戦队(一式戦):谷口正义少佐
  • 飞行第53戦队(二式复戦):児玉正人少佐
  • 飞行第70戦队(二式戦):坂戸笃行少佐
飞行场部队
  • 第46航空地区司令部(茨城):杉本健次郎大佐
    • 第3飞行场大队日语飛行場大隊:堤袈裟市少佐    
    • 第6飞行场大队:小林胜由少佐    
    • 第7飞行场大队:沼沢広大尉    
    • 第43飞行场大队(成増日语成増飛行場):石冢勇一郎少佐
    • 第116飞行场大队:伊藤敏少佐
    • 第140飞行场大队:弘兼久一少佐   
    • 第141飞行场大队:野上正大尉
    • 第244飞行场大队:原田竹太郎大尉

脚注

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  1. ^ ‘陆军军戦备’pp.402-403
  2. ^ 日本陆军の师団长は中将によって亲补される职であるため、少将の场合は“师団长心得”となる。
  3. ^ ‘本土防空作戦’p.244

参考文献

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  • 秦郁彦编‘日本陆海军総合事典’第2版、东京大学出版会、2005年。
  • 外山操・森松俊夫编著‘帝国陆军编制総覧’芙蓉书房出版、1987年。
  • 防卫庁防卫研修所日语防衛研究所戦史室‘本土防空决戦’朝云新闻社日语朝雲新聞社戦史丛书〉、1968年。
  • 防卫庁防卫研修所戦史室‘陆军军戦备’朝云新闻社〈戦史丛书〉、1979年。
  • 别册历史読本 戦记シリーズNo.32 太平洋戦争师団戦史’、新人物往来社、1996年。
  • 木俣滋郎‘陆军航空队全史’航空戦史シリーズ90、朝日ソノラマ、1987年。

関连项目

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