国立感染症研究所
国立感染症研究所(日语:国立感染症研究所/こくりつかんせんしょうけんきゅうしょ Kokuritsu Kansenshō Kenkyūsho */?)是日本厚生劳动省的设施等机关,前身是1947年设立的国立预防卫生研究所(日语:国立予防衛生研究所、英语:National Institute of Health, NIH)。
从属于 | 厚生劳动省的设施等机关 |
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成立时间 | 1997年 前身:国立预防卫生研究所 (1947年 - 1997年) |
研究方向 | 感染症 |
所长 | 胁田隆字 |
地理位置 | 日本 |
地理坐标 | 35°42′15.02″N 139°43′2.56″E / 35.7041722°N 139.7173778°E |
详细地址 | 〒162-8640 东京都新宿区户山1-23-1 (户山厅舍) |
网址 | https://www.niid.go.jp/niid/ |
日语写法 | |
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日语原文 | 国立感染症研究所 |
假名 | こくりつかんせんしょうけんきゅうしょ |
平文式罗马字 | Kokurutsu Kansenshō Kenkyūsho |
村山厅舍与理研筑波研究所的生物安全防护水平(BSL)同为第4级,但因当地民众反对,两者都长期作为BSL-3设施使用,不进行BSL-4相关研究[1][2][注 1]。2014年爆发西非埃博拉病毒疫症后,为对埃博拉出血热怀疑感染者进行详细检查及开发治疗药物,2015年8月7日,村山厅舍被指定为日本首间BSL-4设施[2][4]。
所在地
编辑来源:[6]
- 户山厅舍 〒162-8640 东京都新宿区户山1-23-1(35°42′15.02″N 139°43′2.56″E / 35.7041722°N 139.7173778°E)
- 村山厅舍 〒208-0011 东京都武藏村山市学园4-7-1(35°44′41.16″N 139°24′6.11″E / 35.7447667°N 139.4016972°E)
- 汉生病研究中心 〒189-0002 东京都东村山市青叶町4-2-1(35°46′6.96″N 139°29′59.58″E / 35.7686000°N 139.4998833°E)
组织
编辑来源:[7]
历代所长
编辑沿革
编辑来源:[7]
- 1947年(昭和22年)5月21日 - 从东京帝国大学附属传染病研究所(现东京大学医科学研究所)独立,成为厚生省管理的预防卫生研究所。[8]
- 1948年(昭和23年)8月31日 - 在广岛及长崎开设原子爆弹影响研究所。[9]
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 改名国立预防卫生研究所。[10]
- 1955年(昭和30年)3月23日 - 搬迁至海军大学校旧址(东京都品川区上大崎2丁目)。[11]
- 1961年(昭和36年) - 在国立村山疗养所用地内设置疫苗检定厅舍(村山分室前身)。[11]
- 1975年(昭和50年)4月1日 - 原子爆弹影响研究所改由放射线影响研究所管理[11]
- 1978年(昭和53年)4月5日 - 设置筑波医学实验用霊长类中心设置[11]
- 1980年(昭和55年) - 村山分室建成高度安全实验室(BSL4设施),因附近居民反对未使用。
- 1988年(昭和63年) - 设置艾滋病研究中心
- 1992年(平成4年)10月 - 搬迁至新宿区户山的厚生省户山研究厅舍
- 1997年(平成9年) - 与国立多摩研究所合并,设置汉生病研究中心,改名国立感染症研究所
- 2002年(平成14年) - 部分组织改由国立保健医疗科学院、国立医药品食品卫生研究所管理
- 2005年(平成17年) - 筑波医学实验用霊长类中心等改由医药基盘研究所管理
- 2015年(平成27年)8月7日 - 村山分室被指定为日本首间BSL-4设施[2][4]。
事件
编辑- 1983年,研究所前身、国立预防卫生研究所发生新药间谍事件及抗生物质不正检定事件,职员被捕。时任所长及抗生物质部长引咎辞职。
- 2010年,感染研焚化炉拆卸期间,时任总务部会计课预算第一系长被怀疑收取废物处理公司200万日元现金,涉嫌受贿被捕,之后被落案起诉收贿罪及违反官制谈合防止法[12][13]。
- 2015年,有人化名“匿名A”,在日本分子生物学会会员运营的“思考日本的科学”(日本の科学を考える)网站上“加深对捏造问题的愤怒”(捏造問題にもっと怒りを)话题[14]评论栏发贴,指称1999年至2007年间发表的多篇论文,图像数据有不自然的变化,或是与其他图像十分相似[15][16][17][18]。当中部分论文之后被东京大学判定未有学术不端[19][20][21]。
曾在籍人物
编辑脚注
编辑注释
编辑参考文献
编辑- ^ 藤野基文. エボラ出血熱:国立感染研村山庁舎の施設稼働で協議. 每日新闻. 2014-11-17 [2014-11-18]. (原始内容存档于2014-12-14).
- ^ 2.0 2.1 2.2 【エボラ出血熱】実験施設稼働に向け協議へ 塩崎厚労相が武蔵村山市長と合意. 産経ニュース. 2014-11-17 [2014-11-18]. (原始内容存档于2014-12-02).
- ^ 国立感染症研究所. エボラ出血熱診断マニュアル (PDF). 2012年3月 [2014-08-10]. (原始内容存档 (PDF)于2014-11-13).
- ^ 4.0 4.1 日本経済新聞社. 「BSL4」施設、国内初の指定 国立感染症研・村山庁舎. 2015-08-07 [2016-02-06]. (原始内容存档于2015-11-25).
- ^ 所掌事務. www.mhlw.go.jp. 国立感染症研究所. [2020-01-17]. (原始内容存档于2020-02-20).
- ^ アクセス. www.niid.go.jp. [2020-01-17]. (原始内容存档于2020-01-11).
- ^ 7.0 7.1 研究所の概要. www.niid.go.jp. [2020-01-17]. (原始内容存档于2020-01-26).
- ^ 昭和22年政令第58号
- ^ 昭和23年厚生省训令第419号
- ^ 昭和24年法律第151号
- ^ 11.0 11.1 11.2 11.3 予研40年のあゆみ. 国立予防卫生研究所. 1988. NCID BN03570372.
- ^ 元感染研職員ら逮捕 東京地検、200万円贈収賄容疑 日本経済新聞 2010年6月22日付
- ^ 感染研職員ら起訴、工事入札巡る贈収賄事件. 日本経済新闻 电子版. [2020-01-17]. (原始内容存档于2020-01-17) (日语).
- ^ 捏造問題にもっと怒りを 日本の科学を考える(2017年2月現在は休止中)
- ^ ネットで論文画像の「類似」、「匿名A」が指摘 東大や阪大などの生命科学系約80本 産経新聞 2015年1月9日
- ^ ([//web.archive.org/web/20200219231853/https://www.m3.com/open/iryoIshin/article/292927/ 页面存档备份,存于互联网档案馆) (页面存档备份,存于互联网档案馆) (页面存档备份,存于互联网档案馆) (页面存档备份,存于互联网档案馆) 名大や東京医科歯科大、不正指摘受け本調査へ ] (页面存档备份,存于互联网档案馆) m3.com 2015年2月9日
- ^ 【超STAP事件】日本の学会は捏造論文だらけ!大スキャンダルに発展か 堀川大樹「むしマガ」Vol.272 2015年1月11日
- ^ [1] (页面存档备份,存于互联网档案馆) 世界変動展望 著者 Twitter 2015年2月16日 2016年12月9日閲覧
- ^ ([//web.archive.org/web/20170901111308/http://www.u-tokyo.ac.jp/public/public01_270731_01_j.html 页面存档备份,存于互联网档案馆) (页面存档备份,存于互联网档案馆) (页面存档备份,存于互联网档案馆) (页面存档备份,存于互联网档案馆) インターネット上で指摘のあった論文の画像データに係る調査結果について] (页面存档备份,存于互联网档案馆) 东京大学 2015年7月31日
- ^ [東大、論文画像「不正行為なし」 調査結果を発表]日本経済新聞 2015年8月1日
- ^ [東大「論文に不正行為ない」] 朝日新闻 2015年8月1日
- ^ 榊原悠纪田郎. 荒谷真平 須賀昭一 広い視点からの歯の研究に意欲を燃やし続けた二人の基礎歯科医学者. 続歯記列伝 第1版. 东京都文京区: クインテッセンス出版. 2005-05-10: 19–21. ISBN 4874178529. NCID BN13665318.
- ^ 「主な経歴」『教員情報詳細:静岡県立大学教員データベース』静冈县立大学。