弟橘媛
弟橘媛(おとたちばなひめ)是日本武尊(倭建命)之妃。『日本書紀』記為弟橘媛、『古事記』記為弟橘比賣命。"弟"發音為おと,來自おとめ(漢字:乙女,意即少女),"比賣"發音為ひめ(漢字:姬、媛,意即公主),"命"發音為みこと(意即尊貴之人)。綜上所述,弟橘比賣命之意為:年輕的橘公主殿下。
記紀的弟橘媛(弟橘比賣命)
编辑『日本書紀』記載,是穗積氏忍山宿禰之女,和日本武尊生有稚武彦王[1]。日本武尊從相模渡海前往上總,出言輕視為小海,海突然颳起暴風,船無法航行,因而投水平息海神之怒。
『古事記』記載,倭建命在燒津遭到相武國造火攻,以倭比賣命所賜的草薙劍逃過一劫,來到走水海時,因波濤洶湧而無法前進。弟橘比賣命為化解海神之怒,投身入海。結果海波平穩,船才得以航行[2]。
7日後,弟橘媛的梳子漂到海岸。取梳子作御陵,據說是橘樹神社的由來。
無法忘懷弟橘媛的日本武尊在碓日之嶺(『日本書紀』)或足柄坂本(『古事記』)嘆息「吾妻者也(我妻啊)」,據說此為日本的東部稱作「吾妻」(あずま)的由來[3][4]。
神社
编辑以弟橘媛為祭神的神社有分布關東一帶的吾妻神社(吾嬬神社)、和千葉縣茂原市的橘樹神社同名的橘樹神社。其他還有能褒野神社、走水神社等,和日本武尊合祀的神社。
脚注
编辑参考文献
编辑- 宇治谷孟 『日本書紀(上)全現代語訳』、講談社、1988年 ISBN 4-06-158833-8
- 次田真幸 『古事記(中)全訳注』、講談社、1980年 ISBN 4-06-158208-9
- 植垣節也 『風土記 新編日本古典文学全集5』、小学館、1997年 ISBN 4-09-658005-8
- 菊池利夫 『東京湾史』 大日本図書印刷 1974年
- 小野一之・鈴木彰・谷口榮・樋口州男 『人物伝小辞典 古代・ 中世編』、東京堂出版 2004年