野间文艺赏
野间文艺赏[1](日语:野間文芸賞)是日本讲谈社初代社长野间清治的遗愿设立,财团法人野间文化财团主办的文学奖。它主要颁发给小说家、评论家的纯文学奖项。
野间文芸赏 | |
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授予对象 | 小说与评论 |
国家/地区 | 日本 |
主办单位 | 财团法人夜间文化财团、讲谈社 |
首次颁发 | 1941年 |
官方网站 | http://www.kodansha.co.jp/award/noma-bungei.html |
野间文芸赏每年评选一次,由评选委员共同决定得奖者,得奖者获颁奖牌一面及300万日元奖金(第1回至第41回为200万日元)。
历史
编辑- 1941年,财団法人野间奉公会设立和颁奖,二战时曾经中断。
- 1953年,野间文芸奖重开。
历届得奖者
编辑第1回到第10回
编辑- 第1回(1941年)文芸奖 真山青果 针对业绩:学术奖 汤川秀树:美术奖:安田韧彦
- 第2回(1942年) 无获奖者(岛崎藤村与徳田秋声平分奖金)
- 第3回(1943年) 幸田露伴 针对业绩
- 第4回(1944年) 无获奖者
- 第5回(1945年) 小川未明 针对业绩
- 第6回(1953年) 丹羽文雄 ‘蛇与鸽子’
- 候补作
- 宇野浩二‘芥川龙之介’
- 候补作
- 第7回(1954年) 川端康成 ‘山之音’
- 第8回(1955年) 无
- 第9回(1956年) 外村繁 ‘筏’
- 候补作
- 幸田文‘流’
- 候补作
- 第10回(1957年) 圆地文子 ‘女坂’、宇野千代 ‘おはん’
第11回到第20回
编辑- 第11回(1958年) 小林秀雄 ‘近代絵画’
- 第12回(1959年) 室生犀星 ‘かげろふの日记遗文’
- 第13回(1960年) 安冈章太郎 ‘海辺の光景’、大原富枝 ‘婉という女’
- 第14回(1961年) 井上靖 ‘淀どの日记’
- 第15回(1962年) 尾崎一雄 ‘まぼろしの记’
- 第16回(1963年) 广津和郎 ‘年月のあしおと’
- 第17回(1964年) 中山义秀 ‘咲庵’、高见顺 ‘死の渊より’
- 第18回(1965年) 永井龙男 ‘一个その他’
- 第19回(1966年) 井伏鳟二 ‘黒い雨’
- 第20回(1967年) 中村光夫 ‘赝の偶像’、舟桥圣一 ‘好きな女の胸饰り’
第21回到第30回
编辑- 第21回(1968年) 河上彻太郎 ‘吉田松阴’
- 第22回(1969年) 中野重治 ‘甲乙丙丁’
- 第23回(1970年) 吉田健一 ‘ヨオロッパの世纪末’、江藤淳 ‘漱石とその时代’(最年少受赏)
- 第24回(1971年) 庄野润三 ‘絵合せ’
- 第25回(1972年) 佐多稲子 ‘树影’
- 第26回(1973年) 大江健三郎 ‘洪水はわが魂に及び’
- 第27回(1974年) 大冈升平 ‘中原中也’
- 第28回(1975年) 平野谦 ‘さまざまな青春’、尾崎一雄 ‘あの日この日’
- 第29回(1976年) 武田泰淳 ‘目まいのする散歩’、三浦哲郎 ‘拳铳と十五の短篇’
- 第30回(1977年) 中岛健蔵 ‘回想の文学’
第31回到第40回
编辑- 第31回(1978年) 吉行淳之介 ‘夕暮まで’
- 第32回(1979年) 藤枝静男 ‘悲しいだけ’
- 第33回(1980年) 远藤周作 ‘侍’
- 候补作
- 4作(作者、题名不明)
- 候补作
- 第34回(1981年) 山本健吉 ‘いのちとかたち’
- 第35回(1982年) 小岛信夫 ‘别れる理由’
- 候补作
- 中里恒子 ‘家の中’
- 他2作
- 候补作
- 第36回(1983年) 丹羽文雄 ‘莲如’
- 候补作
- 木下顺二 ‘本郷’
- 井伏鳟二 ‘荻洼风土记’
- 候补作
- 第37回(1984年) 无
- 第38回(1985年) 岛尾敏雄 ‘鱼雷艇学生’、丸谷才一 ‘忠臣蔵とは何か’
- 候补作
- 田久保英夫 ‘海図’
- 堀田善卫 ‘路上の人’
- 候补作
- 第39回(1986年) 上田三四二 ‘岛木赤彦’、大庭美奈子 ‘啼く鸟の’
- 第40回(1987年) 森敦 ‘われ逝くもののごとく’
第41回到第50回
编辑- 第41回(1988年) 安冈章太郎 ‘仆の昭和史’
- 第42回(1989年) 井上靖 ‘孔子’
- 第43回(1990年) 佐佐木基一 ‘私のチェーホフ’
- 第44回(1991年) 河野多恵子 ‘みいら采り猟奇谭’
- 第45回(1992年) 坂上弘 ‘田园风景’
- 第46回(1993年) 日野启三 ‘台风の眼’
- 第47回(1994年) 阿川弘之 ‘志贺直哉’、李恢成 ‘百年の旅人たち’
- 第48回(1995年) 无
- 第49回(1996年) 秋山骏 ‘信长’
- 第50回(1997年) 田久保英夫 ‘木霊集’、富冈多恵子 ‘ひべるにあ岛纪行’
第51回到第60回
编辑- 第51回(1998年) 津岛佑子 ‘火の山―山猿记’
- 第52回(1999年) 清冈卓行 ‘マロニエの花が言った’
- 第53回(2000年) 林京子 ‘长い时间をかけた人间の経験’
- 第54回(2001年) 濑户内寂聴 ‘场所’
- 第55回(2002年) 高井有一 ‘时の潮’
- 第56回(2003年) 竹西宽子 ‘赠答のうた’
- 第57回(2004年) 辻井乔 ‘父の肖像’
- 第58回(2005年) 村上龙 ‘半岛を出よ’
- 第59回(2006年) 黑井千次 ‘一日 梦の栅’
- 第60回(2007年) 佐伯一麦 ‘ノルゲ Norge’
第61回到第70回
编辑- 第61回(2008年) 町田康 ‘宿屋めぐり’
- 第62回(2009年) 奥泉光 ‘神器 军舰‘橿原’杀人事件’
- 第63回(2010年) 村田喜代子 ‘故郷のわが家’
- 第64回(2011年) 多和田叶子 ‘雪の练习生’
- 第65回(2012年) 山田咏美 ‘ジェントルマン’
- 第66回(2013年) 保坂和志 ‘未明の闘争’
- 第67回(2014年) 笙野赖子 ‘未闘病记――胶原病、‘混合性结合组织病’の’
- 第68回(2015年) 长野真由美 ‘冥途あり’
- 第69回(2016年) 堀江敏幸 ‘その姿の消し方’[2]
- 第70回(2017年) 高村薫 ‘土の记’[3]
第71回到第80回
编辑评选委员
编辑- 第10到14回-石坂洋次郎、伊藤整、龟井胜一郎、川口松太郎、川端康成、中岛健蔵、丹羽文雄、舟桥圣一、吉川英治
- 第21回-石坂、伊藤、井上靖、大冈升平、河上彻太郎、川口、中岛、中村光夫、丹羽、平野谦、舟桥
- 第24到29回-石坂、井上、大冈、河上、川口、中岛、中村、丹羽、平野、舟桥、安冈章太郎
- 第30回-石坂、井上、大冈、川口、中岛、中村、丹羽、平野、安冈
- 第32回 - 石坂、井上、川口(书面解答)、佐多稲子、中村、丹羽、安冈
- 第33回到第35回 - 井上、川口、佐多、中村、丹羽、安冈、吉行淳之介
- 第36回到第37回 - 井上、大江健三郎(第36回缺席)、川口、佐多、中村、丹羽、安冈、吉行
- 第38回到第39回 - 井上(第39回缺席)、远藤周作、大江、佐多、中村(第39回缺席)、丹羽、安冈、吉行
- 第40回 - 井上、远藤、大江、佐多、三浦哲郎、丹羽(缺席)、安冈、吉行
- 第41回到第43回 - 井上(第42回起缺席)、远藤、大江、佐多(第41回不参加、第43回缺席)、丸谷才一、三浦(第41回不参加)、安冈(第41回不参加)、吉行
- 第44回到第46回 - 远藤(第45回起缺席)、大江、大庭美奈子、川村二郎、丸谷、三浦、安冈、吉行
- 第47回到第48回 - 江藤淳、大江(第48回缺席,以书面回答)、大庭、川村、三浦、安冈
- 第49回 - 江藤、大江、大庭(缺席)、川村、河野多恵子、三浦、安冈
- 第50回到第51回 - 江藤(第51回缺席)、大江、大庭(第50回起缺席)、川村、河野、坂上弘、日野启三、三浦、安冈
- 第52回 - 大江、川村、河野、坂上、日野、三浦、安冈
- 第53回 - 秋山骏、大江、川村、河野、坂上、津岛佑子、日野、三浦(缺席)、安冈
- 第54回到第55回 - 秋山、川村、河野、坂上、津岛、日野(缺席、书面回答)、三浦(第54回缺席、第55回缺席・书面回答)、安冈
- 第56回到第58回 - 秋山、川村、河野(第58回缺席)、坂上、津岛(第58回缺席)、三浦(第57回缺席)
- 第59回到第60回 - 秋山、川村、坂上、高树信子(第59回缺席)、高桥源一郎、津岛、三浦(第59回缺席)
- 第61回 - 秋山骏、坂上弘、高树信子、高桥源一郎、津岛佑子、三浦哲郎
- 第62回 - 秋山骏、坂上弘、高树信子、高桥源一郎、津岛佑子
- 第63回 - 秋山骏、佐伯一麦、坂上弘、高桥源一郎、津岛佑子
- 第64回 - 秋山骏、奥泉光、佐伯一麦、坂上弘、高桥源一郎、津岛佑子、町田康
外部链接
编辑- (日语)讲谈社 各奖・显彰
- ^ 【当月精选】不可或缺的评价准则 访芥川赏与群像新人文学赏评审岛田雅彦 (页面存档备份,存于互联网档案馆)—联合文学
- ^ 野間文芸賞に堀江敏幸さん - 産経ニュース. [2018-08-06]. (原始内容存档于2020-09-18).
- ^ 第70回野間文芸賞に高村薫さん「土の記」. 产経新闻社. 2017-11-10 [2017-12-07]. (原始内容存档于2020-09-18).