佐伯藩
佐伯藩(日语:佐伯藩/さいきはん Saiki-han */?)是日本丰后国海部郡佐伯的藩[注 1],庆长6年(1601年)4月创藩,明治4年7月14日(1871年8月29日)废藩,表高是20,000石,实高根据《正保乡帐》是18,013石,《旧高旧领取调帐》则是28,678石,藩厅是佐伯城,藩校是四教堂,人口在文化7年(1810年)时是9,110户52,480人,明治初年时则是65,368人[2][1]。
佐伯藩 | |
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日语汉字 | 佐伯藩 |
平假名 | さいきはん |
罗马拼音 | Saiki-han |
创藩日期 | 庆长6年(1601年)4月 |
创藩理由 | 转封 |
所在地 | 日本丰后国海部郡佐伯 |
藩厅 | 佐伯城 |
大名家 | 毛利家 |
伺候席 | 柳间 |
石高 | 20,000石 |
藩校 | 四教堂 |
废藩日期 | 明治4年7月14日(1871年8月29日) |
废藩理由 | 废藩置县 |
历史
编辑庆长6年(1601年)4月,毛利高政从丰后国日田转封至佐伯20,000石,同时作为预地领有日田郡和玖珠郡的幕府领28,000石。同年6月,臼杵藩藩领赤河内村、保户岛和警固屋村划入佐伯藩,同月高政也分知藩领坚田村和床木村的一部分共2,000石予其弟吉安,表高不变。同年9月,与臼杵藩进行替地,以警固屋村换得奥河内村、井牟田村以及鬼丸村的一部分[注 2]。庆长7年(1602年),开始兴建佐伯城。元和2年(1616年》,日田郡和玖珠郡的预地由幕府接管[2]。
宽永10年(1633年),吉安将领地交还予江户幕府,在成为幕府领的同时,也变成是佐伯藩的预地。宽文8年(1668年),佐伯藩的预地改由日田代官所管治。延宝3年4月25日和12月17日(1675年5月19日和1676年1月31日),藩领下直见村的48名农民以及因尾村的14名农民先后逃散。天和2年6月22日(1682年7月26日),丰后国森的久留岛通清三子作为藩主毛利高重的养子而继位,即毛利高久。元禄12年5月13日(1699年6月10日),高久之弟作为其养子而继位,即毛利高庆。享保11年11月21日和12月2日(1726年12月14日和12月24日),藩领因尾村、津久见村和落野浦先后发生逃散,因尾村的198名农民逃散至冈藩藩领宇目乡,津久见村和落野浦的28名农民则是臼杵藩藩领长目浦[注 3][2]。
宽保元年7月28日和12月28日(1741年9月7日和1742年2月3日),藩领上冈村、下野村和大坂本村先后发生逃散,上冈村和下野村的63名农民逃散至宇目乡,大坂本村的45名农民则是臼杵藩藩领波津久村。宽保2年5月6日(1742年6月8日),藩领古江浦的71名农民逃散至臼杵藩藩领中津浦。翌年2月,下野村的200名农民逃散至宇目乡。延享4年正月13日(1747年2月22日),藩领八户村的54名农民逃散至臼杵藩藩领东神野村[注 4]。天明2年(1782年)6月,藩主毛利高标奉命作为预地接管幕府领坚田村和床木村[2]。
文化9年正月11日至13日(1812年2月23日至25日),由于佐伯藩对农民的统制与日俱增,农民的负担愈来愈重,加上受到前年冈藩一揆的影响,藩领内因尾村、中野村、横川村、赤木村、上直见村、下直见村和仁田原村等地[注 5]总共4,000名农民蜂起打毁大庄屋以及纸场所职员的宅邸,随即被镇压。文政10年(1827年),藩主毛利高翰将高标统治时期搜集而来之佐伯文库约80,000册藏书中的20,000册献与幕府,现今分别藏于宫内厅书陵部和国立公文书馆[2][1]。
庆应3年(1867年)10月,藩主毛利高谦接获朝廷命令,要求其上京,不过他以痔疮恶化为由,改派重臣作为名代上京。庆应4年2月9日(1868年3月2日),高谦领兵从佐伯出发,在同年3月10日(4月2日)抵达京都。其后,萨摩藩使者手持以岛津久光名义的勤王劝喻书来到佐伯,由于高谦人在京都,因此佐伯藩以重臣代为宣誓勤王。明治元年10月2日(1868年11月15日),高谦提出献金来买瓦用以兴建丰国神社获准。明治4年7月14日,废藩置县[2][4]。
历任藩主
编辑家名 | 家格 | 名称 | 石高 | 藩领 |
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毛利家 | 外样 城持 |
毛利高政 | 20,000石 | 丰后国海部郡 |
毛利高成 | ||||
毛利高直 | ||||
毛利高重 | ||||
毛利高久 | ||||
毛利高庆 | ||||
毛利高丘 | ||||
毛利高标 | ||||
毛利高诚 | ||||
毛利高翰 | ||||
毛利高泰 | ||||
毛利高谦 |
藩邸
编辑佐伯藩藩邸分为江户藩邸上屋敷、中屋敷、下屋敷、京屋敷和藏屋敷。上屋敷位于爱宕下佐久间小路,拜领自宽文年间(1661年至1673年)或以前,中屋敷位于土器町[注 6],拜领自元禄年间(1688年至1704年)或以前[7][2]。
下屋敷最初位于目黑,拜领自元禄年间或以前,宽文元年12月15日(1662年2月3日)拜领白金今里村下屋敷,天明4年5月17日(1784年7月4日)部分相对替至木挽町五丁目里筑地,文化8年6月9日(1811年7月28日)部分相对替至广尾下涩谷[注 7],弘化元年12月16日(1845年1月23日)部分相对替至上屋敷[7]。
享和元年11月29日(1802年1月3日),木挽町五丁目里筑地下屋敷相对替至上屋敷,相对替自天保7年(1836年)8月的本所龟泽町下屋敷也在嘉永元年5月10日(1848年6月10日)相对替至上屋敷。此外,京屋敷位于泉水町至佐女牛井町一带,藏屋敷则是天满十一丁目滨渊[注 8][7][2]。
领地
编辑令制国 | 郡 | 领地 |
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丰后国 | 海部郡 | 鬼丸村、奥河内村、井牟田村、津久见村、津久见浦、千怒村、网代之浦、日见浦、四浦、保户岛、笹良目浦、代后浦、宫野内浦、内野浦、风无浦、古江浦、长田浦、晞干浦、浅海井浦、津井浦、夏井浦、福泊浦、蒲户浦、石间浦、盐内浦、荒网代浦、日向泊浦、高松浦、片神村、久保浦、守后浦、大坂本村、石原村、备后村、长畑村、冈村、释间村、黑土村、田野平村、川中村、宇藤木村、八户村、床木村、上小仓村、小田村、下小仓村、山梨子村、井崎村、弥越村、竹峯村、江良村、提内村、门田村、平井村、细田村、水口村、新洞村、岩井户村、浦木村、千股村、上直见村、赤木村、知江村、中津留村、吹原村、长野村、道野内村、仁田原村、大津留村、久保河内村、细河内村、黑泽村、杭野内村、内水村、横川村、羽木村、黑岩村、井取村、笠挂村、长野村、三股村、长崎村、宇津津村、波崎村、小川村、小半村、风户村、因尾村、宇曾河内村、堂之间村、宇根原村、上津川村、山部村、腰越村、江平村、片内村、㭴野峯村、井野上村、下野村、坂野村、古市村、上冈村、长濑村、狩生村、小福良村、车村、户穴村、海崎村、百枝村、中河原村、盐屋村、大船系村、江头村、鹈山村、城村、岸河内村、大越村、市福所村、川井村、黑泽村、谷川村、府坂村、山口村、久部村、蛇崎村、木立村、吹浦、地松浦、冲松浦、桑野浦、日野浦、帆波浦、鲔浦、羽出浦、中越浦、丹驾浦、梶寄浦、大岛、色利浦、浦白浦、竹野浦、小浦、宫野浦、畑之浦、西野浦、竹野浦河内、楠本浦、蒲江浦、河内浦、猪之串浦
预地:床木村、府坂村、棚野村、西野村、石打村、波越村、泥谷村、盐付村、柏江村、津志河内村 |
注解
编辑参考资料
编辑- ^ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 竹内理三、北原进、杉山博、竹内诚、所理喜夫、西垣晴次、渡边澄夫、兼子俊一、桥本操六、丰田宽三 (编). 佐伯藩・佐伯・赤河内村・津久見・保戸島・警固屋村・下青江・堅田・床木・奥河内村・井無田・鬼丸村・下直見・因尾・落野浦・四浦・宇目・長目・上岡・下野村・大坂本・波津久村・古江浦・中津浦・八戸・東神野・中野村・横川・赤木・上直見・仁田原. 角川日本地名大辞典 大分県. 角川日本地名大辞典 44 日本文学Web図書館. 角川书店. 1980-11-18. ISBN 4-040-01440-5 (日语).
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外部链接
编辑- 佐伯藩. kotobank (日语).