三条天皇
(重定向自居貞親王)
三条天皇(日语:三条天皇/さんじょうてんのう Sanjō Tennō;976年2月5日—1017年6月5日),日本第67代天皇(1011年7月16日-1016年3月10日在位),讳居贞(日语:居貞/おきさだ Okisada),是花山天皇的异母弟、一条天皇的堂兄[1]。三条天皇自从1014年患有眼疾后便服用金丹,逐渐使其病情加重,因此遭到权臣藤原道长的逼宫[2]。两年后,三条天皇被迫将皇位禅让予侄子敦成亲王而成为了太上天皇。他在1017年出家后不久驾崩。
居贞 | ||
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第67代天皇 | ||
在位期间: 1011年7月16日-1016年3月10日(4年238天) | ||
前任:一条天皇 | ||
继任:后一条天皇 | ||
狩野常信《百人一首画帖》中三条天皇像 | ||
年号 | 宽弘 长和 | |
首都 | 京都 | |
讳 | 居贞 | |
出生 | 天延四年一月三日 976年2月5日 | |
逝世 | 宽仁元年五月九日 1017年6月5日 (41岁) | |
父亲 | 冷泉天皇 | |
母亲 | 藤原超子 | |
皇后 | 藤原娍子 |
日语写法 | |
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日语原文 | 三条天皇 |
假名 | さんじょうてんのう |
平文式罗马字 | Sanjō Tennō |
系图
编辑(60)醍醐天皇 | (61)朱雀天皇 | 广平亲王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(62)村上天皇 | (63)冷泉天皇 | (65)花山天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
兼明亲王 | 致平亲王 | (67)三条天皇 | 敦明亲王(小一条院) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(源)高明 | 为平亲王 | 祯子内亲王 (后三条母、阳明门院) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(64)圆融天皇 | (66)一条天皇 | (68)后一条天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
昭平亲王 | (69)后朱雀天皇 | (70)后冷泉天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
具平亲王 | (源)师房 〔村上源氏〕 | (71)后三条天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
家族
编辑参考
编辑前任: 一条天皇 |
日本天皇 | 继任: 后一条天皇 |