用户:Jdam-mk84/千岁基地

千歳基地

Chitose Air Base

Chitose.airbase.front entrance-crop
概览
机场类型军用
营运者 日本航空自卫队
地理位置 日本北海道千岁市
启用日期1926年(昭和16年)10月22日
司令官田中信隆空将补,兼第2航空团司令官
使用单位第2航空团日语第2航空団
海拔高度89英尺(27米)
坐标42°47′40″N 141°39′59″E / 42.79444°N 141.66639°E / 42.79444; 141.66639
地图
RJCJ在北海道的位置
RJCJ
RJCJ
千岁基地位置图
RJCJ在日本的位置
RJCJ
RJCJ
RJCJ (日本)
跑道
方向 长度 表面
英尺
18L/36R 3,000 9,843 混凝土
18R/36L 2,700 8,858 沥青路面

千歳基地(日语:千歳基地ちとせきち Chitosekichi,英语:Chitose Airbase是位于北海道千歳市航空自卫队基地,负责防守日本北端领空的第2航空团日语第2航空団即派驻在此,该基地也是航空自卫队从冷战以来距离苏联或其继承国俄罗斯最接近的最前线基地。地方民众对千岁基地多以“2空团”代称,另外由于毗邻新千岁机场(纯民航),因此两个机场的航空管制都由空自统一负责。

千岁基地的基地司令官日语駐屯地司令由第2航空团司令官兼任,该基地于1957年8月随美国空军归还基地而设立。在东跑道(18L/36R)北侧,伴随着一条与跑道成一直线的、全长1,000米的着陆带,因此在物理上东跑道长度实际有4,000米。但因为着陆带相当靠近千岁市区,因此着陆带几乎不曾使用过。

概要

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统筹负责千歳基地与新千歳机场之航空管制的千歳基地管制塔台

千岁基地曾经是北海道千歳市的军民共用机场,前身为1926年(大正15年/昭和元年)由千歳村民无偿劳动服务整地建成的陆军飞行着陆场。因为与新千岁机场相毗邻,故两机场的航空管制由航空自卫队负责。“千岁基地”之名虽然容易跟“新千歳机场”混淆,实际上两个机场各自独立。不过基地东跑道(18L/36R)与新千歳西跑道(19R/01L)平行,距离也只有1,500余米,因此两条跑道之间设计有联络滑行道,当新千歳机场的跑道因冬季除雪作业或发生事故无法使用时,民航机可以利用基地东跑道起降。

在新千歳机场落成之前,千岁基地又称“千歳机场”或“千歳飞行场”,从1951年日本恢复民航运输以来就一直是军民共用。为此,机场在JR北海道千歳线石胜线千歳机场站(现更名南千岁站)曾经建有民用航厦大楼。流风所及,现今千歳线也在邻接新千歳机场航厦处设有新千歳机场站,提供旅客从民航设施转乘的便利。

由于是军民共用,到了1980年代,千岁机场已经面临运量过饱和的问题,除了民航的千岁-羽田线班次日益密集之外,由于来自苏联的飞机侵入防空识别区的次数也称加,航空自卫队紧急升空日语スクランブル的次数也因此不断攀升,在80年代已经达到一年内起飞200次的程度,这也导致千歳机场的航空管制工作量与跑道、航厦等等的负荷压力都已经到了宛如走钢索的危险地步。加以北海道厅计划把千岁机场升级为国际航空货运基地,国土交通省也将千岁机场升级为北海道第一个国际机场,有鉴于此,建设新机场分离军民航业务就成为政策。1983年(昭和58年)5月新千岁机场兴建工程开始,1988年(昭和63年)7月,新机场完工落成启用,所有民航业务皆往新机场转移,旧千歳机场从此转为纯军用机场。讽刺的是,新机场落成启用不过3年,1991年(平成3年),苏联解体,空自紧急升空频率大幅减少。也因此,两机场的航空管制业务也全部委由航空自卫队负责营运。

虽然改为纯军用,不过千岁基地内仍有两个特殊的存在,其一是由航空自卫队运用管理的日本国政府专用机及其专用机库,就设置于千岁基地。负责操作政府专机的特别运输航空队。另一则为海上保安厅千岁航空基地,隶属海保第1管区,在跑道东北侧设有专用机库。

截至2004年,基地内的航空自卫队队员人数约有2,500人。

另外,在千岁基地东北方的陆上自卫队东千岁驻屯地内,根据空拍照片可确认尚残存有两条长度各有2,500米及1,200米的跑道遗构,这些跑道遗构最早为旧日本海军第2、第3千岁飞行场及战后美国空军千岁营区兴建及使用,现在被作为陆自驻屯地营区内道路或直升机起降训练设施等使用。另外在像东千岁驻屯地设立纪念日或营区开放日时,也会以跑道遗构作为阅兵式、纪念仪式或动态训练展示的会场。

历史沿革

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1975年的千岁机场(千歳基地)空拍航照图。本照片拍摄时,新千岁机场还没开始建造。照片中央处跑道右下方(东南方向)是后来新千岁机场的建造位置。本照片由16张空拍图组合作成。

本沿革年表参考“基地の概要・历史”(千岁市HP)及“航空自卫队千歳基地-その运用と周辺対策-”(‘调和 基地と住民’2004年3月)制作。

  • 1926年大正15年/昭和元年)- 透过千岁村民劳动服务建成一座约10公顷的飞行着陆场,同年10月22日小樽新闻社的飞机“北海1号”(由酒井宪次郎驾驶)于此降落,首开机场起降纪录。
  • 1929年昭和4年)2月 - 千歳への国営飞行场设置案が众议院で采択[2]
  • 1933年(昭和8年)2月 - 千歳村が陆军飞行场设置请愿书を第七师団长・北海道庁长官・札幌逓信局长宛に提出、飞行场案を民间用から陆军用に転换する[2]
  • 1934年昭和9年)10月 - 千歳村の村费、王子制纸伊藤组などの寄付によって、着陆场を约4万5千に拡张し、千歳飞行场开场式を実施。
  • 1935年(昭和10年)
    • 1月26日 - 村の协议会で陆军飞行队の诱致を议决、その后130町歩の飞行场用地を确保[2]
    • 3月25日 - 千歳飞行场への陆军飞行队设置の请愿が采択される[2]
    • 4月4日 - 第二期工事着工[2]
    • 6月6日 - 第二期工事竣工、10万3620坪に拡张[2]
    • 8月17日-23日 - 陆军航空特别演习を実施[2]
  • 1936年(昭和11年)
  • 1937年(昭和12年)
    • 4月 - 海军飞行场建设を前提とした调查のため大凑海军航空队から桧贝嚢治小福田祖が来访。石狩川流域・苫小牧・千歳を候补とし良好な地质や拡张性の高さから千歳を适地と判断[2]
    • 9月 - 海军より飞行场建设正式决定の通知が千歳村に届く。これにより村有地130haを寄付。
    • 10月18日 - 海军航空基地着工[2]
  • 1939年(昭和14年)10月 - 千歳海军航空队开队(着陆场は海军の飞行场となる)。滑走路を1,200 mに延长。
  • 1942年(昭和17年)
    • 千歳海军航空基地から北东に约3.4kmの地点(现・东千歳驻屯地付近)に第2千歳飞行场滑走路(800m)完成、その后1300mに延伸[3]
    • 11月1日 - 千歳空を第七〇三海军航空队に改称。
  • 1943年(昭和18年)
  • 1944年(昭和19年) - 第2千歳飞行场の东部邻接地に第3千歳飞行场滑走路(1200m)完成[3]
  • 1945年(昭和20年)
  • 1950年(昭和25年)5月 - 滑走路延长・诱导路新设工事着工[6]
  • 1951年(昭和26年)10月25日 - 民间航空が再开され、千歳・东京间に民间航空机(日本航空)が就航する[7]。これに合わせて、北海道中央バスが日本航空机の利用者専用の连络バス(札幌発着)の运転を开始する(千歳线 (北海道中央バス)を参照)。
  • 1952年(昭和27年)6月 - 警察予备队千歳临时部队が100ビル(航空厂病院)に设置される。
  • 1953年(昭和28年)10月 - 滑走路延长・诱导路工事竣工、滑走路延长を9000ft(约2,743m)×150ft(约45.7m)とする[6]
  • 1957年(昭和32年)8月 - 第2航空団が浜松より移驻。9月に千歳基地开设。
  • 1958年(昭和33年)6月 - 米空军飞行部队が全面撤退[6]
  • 1959年(昭和34年)7月 - 米军から日本政府(防卫庁)に返还される。
  • 1961年(昭和36年)12月1日 - 东侧滑走路(2700m×45m)が新设され、滑走路2本での运用を开始する[7]
  • 1963年(昭和38年)4月1日 - 千歳空港ターミナルビルが完成し、供用を开始する。
  • 1967年(昭和42年)8月 - 千歳市より周辺住民の生活又事业活动への障害の防止と缓和を名目として基地周辺整备総合対策(各种防音工事、演习用道路筑造等)を陈情。
  • 1969年(昭和44年) - 千歳空港が出入国港に指定される。
  • 1970年(昭和45年)12月 - 飞行场返还后も残置されていた米军クマ基地(通信部队)が闭锁。
  • 1973年(昭和48年)4月 - 翌年に配备予定だった当时の新锐机F-4EJに関し、千歳市议会より騒音防止策などについて要望があり、滑走路を南方に2000m以上移动させることなどの条件が提示される。
  • 1975年(昭和50年)6月30日 - 米军千歳基地が完全に闭锁。
  • 1978年(昭和53年)12月 - 騒音軽减策として东侧滑走路を南方の苫小牧市侧に1000m移动。
  • 1981年(昭和56年) - 植物・动物検疫飞行场、税関空港、国际空港开港に指定され、国际定期航空便(千歳・ホノルル间)が就航する。
  • 1983年(昭和58年)4月 - F-15Jが配备される。
  • 1988年(昭和63年)
    • 6月20日 - 新千歳空港滑走路を供用开始。
    • 7月20日 - 新千歳空港(A滑走路)が开港、民间机离着陆を新千歳空港に移行。
  • 1992年平成04年)
    • 4月 - 政府専用机の管理运用を行う临时特别航空输送队が编成される。
    • 7月 - 新千歳空港ターミナルビル开业、千歳空港ターミナルビルの运用を终了。
  • 1993年(平成05年)6月 - 临时特别航空输送队が特别航空输送队として新编される。
  • 1995年(平成07年)3月17日 - 旧千歳空港ターミナルビルに北海道エアフロント开発による地域输入促进商业施设“千歳ワールド・マーケット・プレイスNEWS”が开业[8][9][10]
  • 1996年(平成08年) - 新千歳空港にてB滑走路(3000 m×60 m)が供用开始。本飞行场と完全に官民分离される。
  • 1998年(平成10年)3月 - 千歳ワールドマーケット・プレイスNEWSが闭店[10]
  • 2001年(平成13年)3月31日 - “千歳ワールドマーケット・プレイスNEWS”として使われていた旧千歳空港ターミナルビルと関连施设の解体を终了[11][10][7]
  • 2002年(平成14年)9月14日 - 航空自卫队千歳管制队が无事故航空管制3,333,333回达成[12]
  • 2003年(平成15年) - 十胜冲地震の発生に伴い、出光兴产北海道制油所苫小牧市)の油槽で大规模な火灾が発生。航空自卫队にも灾害派遣要请が出され、入间基地浜松基地小牧基地春日基地板付地区等から、化学消火剤をC-1输送机により24时间体制で紧急输送を行う。
  • 2023年(令和5年)3月16日第3高射群を廃止し、三沢基地を本部とする北部高射群が编成される。千歳基地の北部高射群隶下部队は第1指挥所运用队、第1整备补给队、第9高射队、第10高射队。

航空管制

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种类 周波数 (VHF) 周波数 (UHF) 备考(运用时间はJST)
CLR 124.70 MHz 305.70 MHz
GND 121.70 MHz 275.80 MHz
TWR 118.20 MHz 126.20 MHz 236.80 MHz 304.50 MHz
APP 120.10 MHz 124.70 MHz 305.70 MHz 362.30 MHz
DEP 124.70 MHz 305.70 MHz
MET 344.60 MHz
TCA 127.70 MHz 256.10 MHz 月曜-金曜8:00-20:00
RESCUE 123.1x MHz 138.05 MHz 247.0x MHz
航空管制は、航空自卫队千歳基地 千歳管制队が担当
小文字のxは、周波数が変动することをあらわす

航空保安无线施设

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局名 种类 CH.NO. 识别信号
CHITOSE TACAN 29(109.2) ZYT
保守は、航空自卫队千歳基地 千歳管制队が担当

配属部队

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航空自卫队

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第201飞行队のF-15J

北部航空方面队隶下

航空総队直辖

 
千歳救难队のU-125A
  • 航空救难団
    • 飞行群
      • 千歳救难队 - 航空自卫队や他の自卫队机が坠落した际、U-125AUH-60Jで紧急発进して搭乘员の捜索救助活动(航空救难)を実施する。また、民间机の坠落事故の际に东京空港事务所长からの要请で捜索救难活动を行ったり、消防や海上保安庁など他の救难组织が出动困难な悪天候时などには、灾害派遣として山岳や海上の遭难者の捜索救出活动、离岛・僻地の急患输送などを行う。
  • 航空戦术教导団
    • 高射教导群
      • 基地防空教导队 - 航空自卫队基地の防空に関する运用研究や指导を行う。

航空支援集団隶下

  • 航空保安管制群
    • 千歳管制队 - 日本有数の混雑空港である千歳基地と新千歳空港(IATAのWSGで2番目に混雑レベルが激しい“レベル2”[13])の航空管制业务を行う。
  • 航空気象群
    • 千歳気象队 - 千歳基地の気象データを常时测定し、気象予报を行う
 
日本国政府専用机

大臣直辖

  • 航空システム通信队
    • (移动通信群)
      • 第3移动通信队 - 有事や灾害派遣时に通信机器を必要な场所へ移动して、通信を确保する。
  • 航空警务队
    • 千歳地方警务队 - 千歳基地内の治安维持を行う。

海上保安庁

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周辺対策

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本飞行场に関系する周辺対策事业は他の自卫队・在日米军施设同様“防卫施设周辺の生活环境の整备等に関する法律”を根拠法とし(以下本节で同法と呼ぶ)、旧防卫施设庁の主导により下记が実施されてきた[14]

一般的に、周辺対策事业は下记のように区分され、その他にも名目をつけて予算措置がなされることがある。

  • 障害防止工事の助成
  • 住宅防音工事の助成
  • 移転措置による土地の买い入れ
  • 民生安定施设の助成
  • 调整交付金の交付

基地周辺対策の実施対象自治体は広域自治体としては北海道、基础自治体としては千歳市、苫小牧市长沼町由仁町早来町など2市7町に及んでいる。

障害防止工事

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障害防止対策事业(同法3条に基づく)の内一般障害防止については、本飞行场の滑走路、建物整备などに伴い飞行场内の植生の荒廃が进み、飞行场を流域とする河川の流域保水力の低下により洪水被害が生じたため、メムシ川改修工事などの助成があり、同川の场合1977年度から1987年度まで助成を実施している。

また、同飞行场を离着陆する航空机の频繁な飞行により、周辺地域のテレビにフラッターが生じていることから、防止策として共同受信施设を1974年度から1996年度まで助成を実施した。

その他、1971年度から1979年度にかけて騒音用电话机设置事业に助成を実施した。

これら障害防止工事の补助実绩は2002年度までで3件、约31亿円となっている。

噪音防制工事

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学校等の公共施设の騒音防止対策事业としては、航空机騒音の防止・軽减対策として1962年度より学校法人、保育园、法人関系の教育施设や医疗施设などに防音工事を実施している。2000年代になると施策がほぼ行き渡り、机能复旧工事が増加している。

住宅噪音防制工事

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住宅防音工事については同法4条に基づいて指定した第一种区域(75WECPNL以上[15])に所在する住宅を対象として、1974年度より実施し、1990年度からは空気调和机器の机能复旧工事に着手した。1996年度からは特定住宅防音工事(ドーナツ现象[16])、1998年からは建替防音工事、2003年度からは太阳光発电システム设置工事(モニタリング)を実施している。2002年度时点で约20000世帯(新规、追加、特定防音の各工事の合计)に対して360亿円が投じられている。

移転措置

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同法第5条に基づく第二种区域(WECPNL90以上)からの移転补偿については1964年度から実施しており、2002年度までの総计で建物1100戸(约97亿円)、土地约111ha(约100亿円)となっている。移転事业は开始より相当の年月を経过し、人口流出の进んだ地域では町内组织の衰退、防犯面での不安感などが増しており、自治体にはその面の対策も必要となって来ている旨を札幌防卫施设局は说明している。

第二种区域内の移転措置で购入した土地は“周辺财产”として防卫施设庁が管理していた。その面积は2002年度时点で约118haとなっており、植栽を実施した面积は内67ha(费用、7亿5000万円)である。この他飞行场周辺には元々自然林があり、90%以上の土地が绿地帯となっている。また、周辺财产の一部を千歳市にアンカレッジパークその他として使用を许可している。

民生安定施设の助成

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民生安定施设の助成は同法8条に基づき、一般助成と防音助成に分かれる。

一般助成事业としては、道路改修、学习等供用施设、无线放送施设、公共空地等について、1970年度より助成を开始し、2002年度时点で総计は约44亿円となっている。1990年代末にゴミ処理施设におけるダイオキシン対策が问题となった际には、1998年度より千歳市が开始した施设整备にも助成を実施した。

防音助成事业としては、学习等供用施设、公民馆、市町村庁舎等について、1967年度から助成を开始しているが、2000年代に入ると施策の行き渡りにより年毎の実施件数は减少している。

特定防卫施设周辺整备调整交付金

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更に、同法9条に基づき、特定防卫施设周辺整备调整交付金を特定防卫施设関连市町村に指定されている千歳、苫小牧両市に対して交付している。用途としては交通施设、スポーツ施设の整备に充当されており、総计としては1974年度の开始から2002年度までで406件、约105亿円となっている。

まちづくり计画事业の助成

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周辺地域との调和を図るため、基地を前提としたまちづくりのための総合的な计画の策定事业として2002年度より千歳市に助成している。これにより、戦车などの重车両が通行する“C経路”と通称される公道の沿线环境を改善するような施设の整备が考えられている。

旧空港施设

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  • 戦后の民间航空再开に伴い、1951年から1963年まで基地北西侧の米军施设内に平屋建て120坪の旅客施设を设置し航空庁・気象庁事务所、航空会社事务所、コーヒーショップ、土产物店、邮便・电报・电话サービスを备えた[17]。1960年には2阶部分の一部増筑を実施[17]
  • 1963年には北东侧に新设された民间航空地域に北海道空港が运営する“千歳空港ターミナルビル”を设置[17]。1992年の新千歳空港ターミナルビル开业まで使用され、新千歳ターミナルへの移転后は1994年までにフィンガー施设や货物ビルなどの関连施设を撤去しターミナル本馆は改装の上1995年から商业施设“千歳ワールドマーケット・プレイスNEWS”に転用の后2001年に解体。
    • 当初は一部2阶建て床面积3,416平米で竣工し、その后航空需要の増加を受け増筑を重ね最终的に1982年の増筑终了までに4阶建て48,023平米に拡张[17]。1980年には日本航空器材库を改装した国际线ターミナルも设置され[17]、80年代后半にはニューメディア技术を活用した情报サービス施设“HAPIS”やマルチビジョン“ハピス・マルチビジョン”も整备された。
    • 旧ターミナル末期には日本初の空港オリジナルキャラクターとして“少年ディッパー”を制定し[18]、“DIPPER & FRIENDS”として少女“ランちゃん”・牛“いく代”・ウサギ“ミミ”・キタキツネ“こん助”・エゾシカ“ロビン”・リス“チー坊”・熊“リトルベアー”のキャラクター群も设定された[19]
千歳空港ターミナルビル构成(1990年时点)
  • 3阶[19]
    • レストラン街“味の広场スカイニート”
    • 见学送迎デッキ
    • ゲームコーナー
  • 2阶[19]
    • 出発ロビー
    • 売店
    • 千歳空港駅连络歩道桥
    • 邮便局
    • 吃茶
    • 银行
    • 団体待合室
    • VIP室
    • 诊疗所
    • マルチビジョン“ハピス・マルチビジョン”
      • 27インチ画面縦4面・横8面计32面[18]
  • 1阶[19]
    • 航空各社カウンター
    • チケットロビー
    • バゲージクレーム
    • 到着ロビー
    • 売店
    • 靴磨きコーナー
    • CDコーナー
    • 食堂
    • 水槽
    • 総合案内カウンター
    • 情报サービスシステム“HAPIS”(ハピス、Hokkaido Air-Port Information Service) - ニューメディア技术を用いた情报サービス提供を行う案内所[20]
      • HAPIS SPOT - ホテルやオリジナル品の予约、レーザーディスクによる文字情报提供を実施。2基の操作画面と壁面に縦3・横4の计12基の画面を备える[20]
      • HAPIS GUIDE - 空港内情报・観光情报・航空情报などをタッチパネル式画面で提供する[20]
      • HAPIS VISION - 幅1.8m・高さ1.35mの液晶画面で空港内情报・航空情报・商业情报・観光情报・ニュースなどを投影[20]
      • HAPIS BOARD - 広告・环境アートなどを3面回転で表示するトライビジョン[20]
      • HAPIS WINDOW - ショーケースによる商品展示や3基のビデオ画面による说明を展开[20]
      • HAPIS COMPANION - 情报案内、予约発券宅配、机器の说明などを実施[20]
    • 理美容室
    • 手荷物一时预かり所
    • ツアーデスク
    • レンタカー案内コーナー

航空祭

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thumb|2013年の航空祭の様子。 毎年8月第1周の日曜日に実施しているが、2006年度は土曜日の开催であった。“ブルーインパルス”の展示飞行がある。

航空祭の际には正门まで2km弱の距离にあるJR千歳駅から徒歩30分程度で行くことが出来る。车での来场も可能だが、基地前の平和交差点を中心に周辺では毎年渋滞するため、飞行展示に间に合わないケースも続出している。

2009年10月15日、アメリカ空军の曲技飞行チーム“サンダーバーズ”が展示飞行を行った。

2014年からは、入场する车両による渋滞の缓和・敷地内驻车场の混雑等もあり事前申込み制度に変更となった。基地内驻车场及び邻接する新千歳空港敷地内の旧空港ビル迹地等を使用した临时驻车场利用制度に変更となっており、申込みに外れた场合は、JR利用の场合は南千歳駅から有料シャトルバスが运行される他に、当日専用でキリンビール驻车场が临时驻车场として指定されており、そちらに驻车のうえ同じく有料のシャトルバスを利用する。

注释

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  1. ^ AIS Japan
  2. ^ 2.00 2.01 2.02 2.03 2.04 2.05 2.06 2.07 2.08 2.09 2.10 新千歳市市通史编上巻 第5章日中戦争と海军航空队 - 千歳市役所
  3. ^ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 新千歳市市通史编上巻 第6章太平洋戦争开戦 - 千歳市役所
  4. ^ 新千歳市市通史编下巻 第7编资料 千歳历史年表 - 千歳市役所
  5. ^ 千歳航空年表-空港で過ごす | 新千歳空港ターミナルビル. 新千歳空港ターミナルビル. [2019-07-20]. 
  6. ^ 6.0 6.1 6.2 新千歳市史通史编下巻 第6编部门史 第14章米军・自卫队 - 千歳市役所
  7. ^ 7.0 7.1 7.2 日本のエアポート06 北海道の空港 - イカロス出版(2013年)
  8. ^ 北海道地域输入促进(FAZ)计画の推进 - 北海道総合政策部
  9. ^ 米人気キャラクター“ニューズ”开业PR*新千歳ターミナル - フォト北海道(北海道新闻社)1995年2月5日
  10. ^ 10.0 10.1 10.2 新千歳市史通史编下巻 第6编部门史 第3章商业・金融 - 千歳市役所
  11. ^ 撤去のNEWS*旧千歳空港 ビル解体进む - フォト北海道(北海道新闻社)2001年2月21日
  12. ^ イカロス出版 Jwing No.52 2002年12月号 97页 “行くぞ!NEWSマン 自卫队NEWS”
  13. ^ 国際線発着調整事務局の業務概要 (PDF). 国际线発着调整事务局(JSC). [2017-02-01].  已忽略文本“和书” (帮助)
  14. ^ 周辺対策の主な出典は
    札幌防卫施设局“航空自卫队千歳基地-その运用と周辺対策-”‘调和 基地と住民’2004年3月
  15. ^ 防卫施设庁算出法によるWECPNL
  16. ^ 第一种区域はWECPNLの指定基准値により决定されるが、基准値は段阶的に改正(85W→80W→75W)されていった。これは住宅防音工事の进捗状况を踏まえた措置であったが、建设时期が同一、ないしそれ以前のものであっても区域によっては対象とならない住宅が発生する现象が発生した。この现象をドーナツ现象と呼ぶ。
  17. ^ 17.0 17.1 17.2 17.3 17.4 新千歳市史通史编下巻 第6编部门史 第5章交通・通信 - 千歳市役所
  18. ^ 18.0 18.1 いまが未来 北海道空港35年史 - 北海道空港(1997年)
  19. ^ 19.0 19.1 19.2 19.3 伸びゆく千歳空港(北海道空港 1990年)
  20. ^ 20.0 20.1 20.2 20.3 20.4 20.5 20.6 新时代へ 北海道空港25年史 - 北海道空港(1986年)

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