龜山天皇
龜山天皇(日語:亀山天皇/かめやまてんのう Kameyama Tennō;1249年7月9日—1305年10月4日)第90代日本天皇(1260年1月9日—1274年3月6日在位)。諱恆仁(日語:恒仁/つねひと Tsunehito)。他是大覺寺統皇室始祖。
恆仁 | ||
---|---|---|
第90代天皇 | ||
在位期間: 1260年1月9日-1274年3月6日(14年56天) | ||
前任:後深草天皇 | ||
繼任:後宇多天皇 | ||
《天子攝關御影》內龜山天皇似繪 (宮內廳書陵部藏) | ||
時代 | 鎌倉時代 | |
年號 | 正元 文應 弘長 文永 | |
首都 | 京都 | |
皇居 | 京都御所 | |
出生 | 建長元年五月二十七日 1249年7月9日 | |
逝世 | 嘉元三年九月十五日 1305年10月4日 (56歲) | |
龜山殿 | ||
陵墓 | 龜山陵 | |
父親 | 後嵯峨天皇 | |
母親 | 西園寺姞子 |
日語寫法 | |
---|---|
日語原文 | 亀山天皇 |
假名 | かめやまてんのう |
平文式羅馬字 | Kameyama Tennō |
他是後嵯峨天皇的第七皇子,母親是太政大臣西園寺實氏女-大宮院藤原姞子,
家族
編輯系圖
編輯(88)後嵯峨天皇 | 宗尊親王 (鎌倉將軍6) | 惟康親王 (鎌倉將軍7) | 〔北朝〕 | (北朝1)光嚴天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(93)後伏見天皇 | (北朝2)光明天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【持明院統】 (89)後深草天皇 | (92)伏見天皇 | (95)花園天皇 | 直仁親王 (皇太子) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
尊圓入道親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
久明親王 (鎌倉將軍8) | 守邦親王 (鎌倉將軍9) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【大覺寺統】 (90)龜山天皇 | (91)後宇多天皇 | (94)後二條天皇 | 邦良親王 (皇太子) | 康仁親王 (皇太子) | 〔木寺宮家〕 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
〔南朝〕 | (96)後醍醐天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
前任: 後深草天皇 |
日本天皇 | 繼任: 後宇多天皇 |