陆军士官学校毕业生列表 (日本)
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陆军士官学校毕业生列表 (日本)(りくぐんしかんがっこうそつぎょうせいいちらん(にほん))是日本陆军士官学校毕业生的列表。值得注意的是,原则上仅记载在Wikipedia上存在既有条目的人。
卒业生等
编辑陆军兵学寮
编辑- 明治3年12月入学,明治5年6月卒业,明治6年5月任少尉
- 明治6年12月入学,明治7年10月少尉试补,明治8年1月任少尉
- 大尉:矶林真三(殉职)
- 明治7年2月入学,明治7年10月少尉试补,明治8年1月任少尉
- 大将:中村觉
- 明治7年3月入学,明治9年少尉试补,明治8年3月任工兵少尉
- 大将:鲛岛重雄
- 明治7年10月入学,明治9年3月少尉试补,明治10年5月任少尉
- 大将:一户兵卫
士官学生
编辑※士官生徒は少尉任官は一律に行われるが,卒业は兵科毎に差がある。
旧1期
编辑(明治8年2月入校,1877年12月22日任官,117名)
旧2期
编辑(明治12年2月1日任官,136名)
- 大将:大迫尚道・井口省吾・大谷喜久藏
- 中将:石井隼太・伊地知幸介・仙波太郎・田村怡与造・丰岛阳藏・长冈外史・村木雅美・松本鼎・村田惇・涩谷在明・山田忠三郎
- 少将:加藤泰久・鹰司煕通・田内三吉・中村无一・原义成
- 少佐:榊原宰之助・山田一男・渡边述(战病死)
旧3期
编辑(1877年入校,明治12年(1879年)12月22日任官,96名)
- 元帅:上原勇作(陆相)
- 大将:内山小二郎・秋山好古・柴五郎・本乡房太郎
- 中将:石桥健藏・楠瀬幸彦(陆相)・藤井茂太・青木宣纯・落合豊三郎・大久保德明・榊原昇造
- 少将:太田正德・北川武・佐藤忠义・鹤见数马・东乡八郎左卫门・八木下纯・山口圭藏
- 大佐:関谷铭二郎(战死) 东常久
- 中佐:冢本芳郎(战死)
- 少佐:林秀芳
- 大尉:酒井次郎
- 中尉:青山忠诚
旧4期
编辑(明治14年(1881年)12月24日任官,58名)
- 中将:大沢界雄・冈市之助(陆相)・大岛健一・萩野末吉・林太一郎・山口胜・斎藤力三郎
- 少将:井口五郎・石川洁太・今沢义雄・奥村元佶・加藤政义・佐野胜二郎・横田宗太郎
- 大佐:清水金生・吉田贞(战死)
- 少佐:木村伊助(战死)・根津一
- 大尉:永见松太郎
旧5期
编辑(明治15年(1882年)12月25日任官,60名)
- 大将:松川敏胤・由比光卫
- 中将:阿部贞次郎・小原传・久能司・中村爱三・星野金吾・本多道纯
- 少将:江藤铺・黑沢源三郎・児岛八二郎・恒吉忠道・吉冈竹次郎・日匹信亮(主计监)
- 大佐:鹈沢总司(战死)・江木精夫・小沢季治・下山笔八
- 大尉:荒尾精
旧6期
编辑(明治16年(1883年)12月25日任官,59名)
- 大将:仁田原重行・明石元二郎・大井成元・立花小一郎
- 中将:足立爱藏・蛎崎富三郎・重见熊雄・野口坤之・林太郎
- 少将:相浦多三郎・河野政二郎・杉浦藤三郎・桥口勇马・桥本三郎・山本延身・依田昌兮
- 中佐:须知源次郎(战死)・花田仲之助
旧7期
编辑(明治18年(1885年)6月18日任官,61名)
旧8期
编辑(明治19年(1886年)6月25日任官,144名)
- 大将:大庭二郎・河合操・田中义一(陆相)・山梨半造(陆相)
- 中将:高桥义章・永沼秀文・成田正峰・桥本胜太郎・藤井幸槌・小池安之・山田良水・栗田直八郎・宫田太郎
- 少将:伊豆凡夫・公平忠吉・野中胜明
- 大佐:藤室松次郎
- 中佐:鲤登行文(战死)
旧9期
编辑(明治20年(1887年)7月21日任官,189名)
- 大将:福田雅太郎・町田経宇・田中弘太郎
- 中将:浄法寺五郎・白井二郎・武内彻・筑紫熊七・古海厳潮
- 少将:佐藤祐次・伊部直光
- 大佐:清水三男・岩仓久米雄
- 中佐:橘周太(战死)・那须仙太郎(战死)
- 少佐:清水盛次・鹰森赳夫
- 中尉:青木织之助(战死)
旧10期
编辑(明治21年(1888年)7月28日任官,158名)
旧11期
编辑(明治22年(1889年)7月26日任官,207名)
- 大将:菊池慎之助・奈良武次
- 中将:西川虎次郎・高山公通・河村正彦・久松定谟・斎藤季治郎・横山彦六
- 少将:土井市之进・长尾骏郎・樋口喜吉
- 大佐:坂田虎之助・片仓小太郎・日野强
- 中佐:高嶋嘉藏・晴気市三
- 少佐:石光真清
- 大尉:时沢右一
士官候补生以降
编辑1期
编辑(明治23年(1890年)7月26日卒业,明治24年(1891年)3月26日任官,147名)
- 大将:铃木荘六・白川义则(陆相)・宇垣一成(陆相)
- 中将:石坂善次郎・石光真臣・市川坚太郎・井户川辰三・内野辰次郎・児岛惣次郎・中岛正武・両角三郎・山田陆槌
- 少将:神户次郎・森邦武・铃木朝资・永山元彦・中山民三郎
- 中佐:大越兼吉
- 清国留学生:张绍曾・蒋雁行・唐在礼
2期
编辑(明治24年(1891年)7月20日卒业,明治25年(1892年)3月21日任官,148名)
- 大将:菅野尚一・森冈守成・铃木孝雄
- 中将:南部麒次郎・吉江石之助・矢野目孙一・稻垣三郎・坂西利八郎・星野庄三郎・小野寺重太郎・长坂研介
- 少将:上田兵吉・山根一贯
- 大佐:南正吾
- 少佐:西久保豊一郎
- 大尉:福岛泰藏
3期
编辑(明治25年(1892年)7月23日卒业,明治26年(1893年)3月13日任官,137名)
- 元帅:武藤信义
- 中将:朝久野勘十郎・大野豊四・大岛又彦・三原辰次
- 少将:长谷川猪三郎・锅岛直明
- 大佐:赤柴几太郎
- 少佐:绫部传一郎
- 清国留学生:刘询・宫邦铎・潘矩楹・王永泉・王汝勤・孙宗先・曲同豊・吴光新・张树元・张懐斌・贾德耀・傅良佐
4期
编辑(明治26年(1893年)7月25日卒业,明治27年(1894年)3月7日任官,188名)
5期
编辑(明治27年(1894年)7月27日卒业,明治27年(1894年)9月18日任官,213名)
- 大将:金谷范三・菱刈隆・岸本鹿太郎・吉田豊彦
- 中将:村冈长太郎・津野一辅・木村茂(主计总监)・井上一次・国司伍七・宫地久寿马・田村守卫・山田良之助・福原佳哉・曽田孝一郎・佐藤小次郎・铃木一马
- 少将:松江豊寿・大村纯英・奥田重荣
- 少佐:小野寺益
- 清国留学生:姜登选・陈仪
6期
编辑(明治28年(1895年)1月1日卒业,明治28年(1895年)5月22日任官,216名)
- 大将:南次郎(陆相)
- 中将:香椎秀一・三井清一郎(主计中将)・长谷川直敏・和田龟治・安满钦一・渡边寿
- 少将:家永直太郎・津野田是重
- 大佐:松尾传藏
- 少佐:冈田和四郎
- 清国留学生:周荫人・唐蟒・孙传芳・朱绶光・叶荃
7期
编辑(明治29年(1896年)5月27日卒业,明治30年(1897年)1月25日任官,270名)
- 皇族:元帅陆军大将久迩宫邦彦王・元帅陆军大将梨本宫守正王
- 大将:畑英太郎・绪方胜一
- 中将:小泉六一・菊池武夫・桑田安三郎・福田彦助・白石通则・李秉武(韩国留学生)
- 少将:朽木纲贞・石井常造
- 中佐:板垣义正
- 少佐:桜井文雄
- 大尉:浅野力太郎(战死)・川喜多大治郎(免官)・吉田护郎
- 清国留学生:朱熙
8期
编辑(明治29年(1896年)11月26日卒业,明治30年(1897年)6月28日任官,292名)
- 李氏朝鲜からの留学生を本格的に受け入れる。
- 大将:渡边锭太郎・林铣十郎(陆相)
- 中将:金山久松・木下文次・木原清・佐藤 信・柴山重一・永井来・原口初太郎・林弥三吉・三好一
- 少将:冈本春三・岛内国彦・铃木文次郎・中岛铣之助・前川譲吉・三轮秀一・长岭俊之助
- 大佐:植田了吉
- 清国留学生:王坦・于珍・杨宇霆・张焕相
9期
编辑(明治30年(1897年)11月29日卒业,明治31年(1898年)6月27日任官,650名)
- 大将:阿部信行・真崎甚三郎・本庄繁・松井石根・荒木贞夫(陆相)・林仙之
- 中将:坂部十寸穂・冈本连一郎・赤井春海・渡边金造・大村齐・赵性根(韩国留学生)
- 少将:本城嘉守・武川寿辅・李煕斗(韩国留学生)・王瑜植(韩国留学生)
- 大尉:小松庆也
- 清国留学生:王金钰
10期
编辑(明治31年(1898年)11月25日卒业,明治32年(1899年)6月27日任官,649名)
11期
编辑(明治32年(1899年)11月21日卒业,明治33年(1900年)6月22日任官,670名)
- 元帅:寺内寿一(陆相)
- 大将:岸本绫夫
- 中将:荒莳义胜・安藤纪三郎・井上达三・坂本政右卫门・佐藤子之助・四王天延孝・多门二郎・松井七夫・森连・若山善太郎・鱼潭(韩国留学生)
- 少将:芦川良治・石丸志都磨(满州国军中将)・江藤源九郎・金子规・山口十八
- 大佐:西乡従德
- 中佐:奥田直恭
- 少佐:山内豊景
- 大韩帝国军正领:卢伯麟
12期
编辑(明治33年(1900年)11月21日卒业,明治34年(1901年)6月25日任官,655名)
- 元帅:杉山元(陆相)・畑俊六(陆相)
- 大将:小矶国昭
- 中将:稻垣考照・岩越恒一・牛岛贞雄・大谷一男・香椎浩平・乡田兼安・瀬川章友・武田秀一・二宫治重・秦真次・深沢友彦・柳川平助
- 少将:泷原三郎・古贺彻治・二宫久二・三宅笃夫・须田实・高山辉义
- 大佐:梅沢银造・前田勇
- 中佐:外山荣
- 大尉:青柳胜敏
- 清国留学生:邹作华
13期
编辑(明治34年(1901年)11月22日卒业,明治35年(1903年)6月23日任官,722名)
- 大将:中村孝太郎(陆相)
- 中将:建川美次・林桂・福田袈裟雄・三宅光治・堀丈夫・中冈弥高・植村东彦・小杉武司・広瀬猛・石井英橘
- 少将:樱井忠温・大川寿贺・三ツ木秀治
- 大佐:小林顺一郎・福井重记
- 少佐:井田磐楠・一户寛
- 中尉:乃木胜典(战死)
14期
编辑(明治35年(1902年)11月22日卒业,明治36年(1903年)6月26日任官,702名)
- 大将:古荘干郎・西尾寿造・山田乙三
- 中将:宇佐美兴屋・山室宗武・中村滨作・香月清司・桥本虎之助・佐藤三郎・伊东政喜・児玉友雄・涩谷伊之彦・清水喜重・铃木美通・末松茂治・久村种树・大冢坚之助
- 少将:安达十六・菅原良吉・横巻茂雄・冲直道
- 大佐:小畑巌三郎
- 少佐:四条隆爱
- 大尉:有坂勉
- 中尉:大迫三次(战死)・南部利祥(战死)
15期
编辑(明治36年(1903年)11月30日卒业,明治37年(1904年)2月12日任官,708名)
- 皇族:陆军少将竹田宫恒久王
- 大将:梅津美治郎・莲沼蕃・多田骏
- 中将:今井清・谷寿夫・山冈重厚・永持源次・德川好敏・山田健三・田代皖一郎・中岛今朝吾・松浦淳六郎・川岸文三郎・河村恭辅・岩佐禄郎・下元熊弥・多田礼吉・上村清太郎
- 少将:服部兵次郎・大滨石太郎・长谷部照俉・谷仪一・小嶋时久・金应善(韩国留学生)
- 大佐:河本大作・宫胁长吉・古贺传太郎(死后晋级)
- 中佐:金基元(韩国留学生)
- 中尉:猪熊敬一郎・小笠原善平・乃木保典(战死)
16期
编辑(明治37年(1904年)10月24日卒业,明治37年(1904年)11月1日任官,549名)
- 大将:冈村宁次・土肥原贤二・板垣征四郎(陆相)・安藤利吉
- 中将:矶谷廉介・小畑敏四郎・园部和一郎・永田铁山(相沢中佐事件により昇任)・藤田进・牛岛实常・尾高龟藏・松井命・桑木崇明
- 少将:冈村元・森五六・泽木元雄・游佐幸平・林大八(死后晋级)
- 少佐:小川武次・黑木亲庆
17期
编辑(明治37年(1904年)入校,明治38年(1905年)3月30日卒业,明治38年(1905年)4月21日任官,363名)
18期
编辑(明治38年(1905年)11月25日卒业,明治39年(1906年)6月26日任官,920名)
- 大将:阿南惟几(陆相)・山下奉文・冈部直三郎・藤江恵辅・山胁正隆
- 中将:安达十九・大岛浩・久纳诚一・酒井镐次・佐々木到一・泽田茂・安井藤治・安冈正臣(法务死)・矢野机・井上政吉・小松原道太郎・安藤三郎・甘粕重太郎・鹫津鈆平・波田重一・土桥一次・稻叶四郎・浜本喜三郎・黑岩义胜・重藤千秋
- 少将:井上三郎
- 大佐:佐竹僴一郎
- 大尉:木村三郎
- 中尉:山中峯太郎
19期
编辑(明治40年(1907年)5月31日卒业,明治40年(1907年)12月26日任官,1068名)
- 大将:今村均・田中静壱・河边正三・喜多诚一・冢田攻
- 中将:熊谷敬一・小须田胜造・斎藤弥平太・本间雅晴(法务死)・藤井洋治(战死)・石黑贞藏・関龟治・国崎登・仪峨彻二・桑原四郎・秦雅尚
- 少将:大冢信照・后藤十郎・浜田勇(1阶级特进)
- 中尉:德田金一(殉职)
- 中华民国陆军: 黄国书
20期
编辑(明治41年(1908年)5月27日卒业,明治41年(1908年)12月25日任官,276名)
- 皇族:陆军大将朝香宫鸠彦王・陆军大将东久迩宫稔彦王(陆相)・陆军炮兵大佐北白川宫成久王
- 大将:下村定(陆相)・吉本贞一・木村兵太郎・牛岛满(没后进级)
- 中将:桥本群・木下敏・酒井隆・饭田祥二郎・鹰森孝・井上贞卫・七田一郎・北岛骥子雄・草场辰巳・吉田悳・中井良太郎・野口正义
- 少将:竹村直臣(昇进即日待命)
- 大佐:山田长三郎(自决)
21期
编辑(明治40年(1907年)入校,明治42年(1909年)5月27日卒业,明治42年(1909年)12月25日任官,418名)
- 大将:冨永信政
- 中将:阿部平辅・石原莞尔・饭村穣・百武晴吉・安田武雄・黑田重德・町尻量基・横山勇・樋口季一郎・菅原道大・萱嶋高・上月良夫・渡边正夫・内山英太郎・林芳太郎・永见俊德・饭沼守・平林盛人・柴田卯一
- 少将:仪我诚也・安藤忠一郎・林一造・中岛三栖雄
- 大佐:安江仙弘
- 中尉:斎藤元宏
22期
编辑(明治41年(1908年)入校,明治43年(1910年)5月28日卒业,明治43年12月26日任官,721名)
- 中将:铃木率道・村上启作・原田熊吉・寺仓正三・田边盛武・北野宪造・中村明人・笠原幸雄・寺本熊市・铃木贞一・豊嶋房太郎・田中久一・牟田口廉也・安达二十三・西村琢磨・瀬谷启・小仓达次・本多政材・松井太久郎・松山祐三・両角业作・加藤泊治郎(战病死)・坂口静夫・上村利道・矢野音三郎・小林信男・大场四平・中川広・小林恒一・竹内寛
- 少将:岩佐俊
- 中佐:相沢三郎
- 少佐:大山柏・空闲昇(自决)・德川圀顺
23期
编辑(明治42年(1909年)入校,明治44年(1911年)5月27日卒业,明治44年(1911年)12月26日任官,740名)
- 大将:小畑英良
- 中将:酒井直次・清水规矩・桜井省三・根本博・西原贯治・坂西一良・神田正种・板花义一・冈田资・佐伯文郎・永津佐比重・铃木启久・堀井富太郎・佐野忠义・志位正人・丸山政男・伊东武夫・水上源藏(自决特进)・藤冈武雄(自决)・石本寅三・片村四八・十川次郎・福荣真平(法务死)・河田槌太郎・山県栗花生(战死)・下野一霍・竹下义晴・尾崎义春・大津和郎(没后进级)・竹原三郎
- 少将:冈部通・木岛袈裟雄
- 大佐:大岛久忠・桥本欣五郎
- 中佐:江本茂夫
- 大尉:板仓孝(宪兵)・安边浩
- 韩国留学生:中尉:金光瑞(金顕忠,金擎天)
24期
编辑(明治45年(1912年)5月28日卒业,大正元年(1912年)12月24日任官,734名)
- 大将:铃木宗作(战死)
- 中将:栉渊鍹一・酒井康・柴山兼四郎・秋山德三郎・河边虎四郎・秦彦三郎・横山静雄・马场正郎・斎藤义次・澄田ライ四郎・本乡义夫・赤柴八重藏・中沢三夫・上村干男・长野祐一郎・麦仓俊三郎・土桥勇逸・细川忠康・野田谦吾・重田德松・中薗盛孝(战死)・沼田多稼藏・鲤登行一・山崎清次・川并密・小林浅三郎・服部暁太郎・田中信男・下田宣力(没后进级)・中野英光
- 少将:冈明之助(战死)・东海林俊成・佗美浩・万城目武雄・三宅贞彦
- 大佐:鹰司信熙
- 中佐:深山龟三郎(殉职)
- 少佐:饭沼守麿
- 大尉:甘粕正彦・大沢二郎
- 少尉:岸田国士
25期
编辑(大正2年(1913年)5月26日卒业,大正2年(1913年)12月25日任官,741名)
- 中将:青木重诚(战病死)・石田乙五郎・矶田三郎・片桐茂(战死)・佐藤幸德・桜田 武(战死)・下山琢磨・须藤荣之助・高品彪(战死)・武田馨・立花芳夫(法务死)・田中新一・玉田美郎・富永恭次・中村正雄(没后进级)・那须弓雄(没后进级)・西原一策・原守・原田宇一郎・星野利元・细见惟雄・前田正实・三浦三郎・武藤章・山内正文・山崎保代(没后进级)・横山武彦(没后进级)・吉冈安直
- 少将:横井忠道・上砂胜七・小仓尚・宇贺武(没后进级)・木庭知时・杵村久藏(没后进级)・石黑岩太
- 大佐:今村安・臼田寛三・小林吉二・小原泽幸藏
- 中尉:松下芳男
26期
编辑(大正3年(1914年)5月28日卒业,大正3年(1914年)12月25日任官,742名)
- 陆军大将を辈出した最后期
- 大将:栗林忠道(战死)
- 中将:洪思翊・柳田元三・远藤三郎・千田贞季・宫崎繁三郎・牧野四郎(战死)・影佐祯昭・物部长鉾・安部孝一・林义秀・佐々木登・冈崎清三郎・花谷正・若松只一・木下勇(战死)・和知鹰二・山田清一(自决)・中永太郎・吉积正雄・名仓栞・田副登
- 少将:井上靖・田中隆吉・长友次男・川口清健・住吉正・秋草俊・簗瀬真琴
- 大佐:东八百藏(战死)・新井匡夫(特进)・大冢寅雄・李应俊(香山武俊・韩国军中将,韩国军初代参谋总长)・刘升烈(江本烈・韩国军少将)・安秉范(安钟寅,龟村贞信・韩国军准将)
- 中佐:满井佐吉・申泰英
- 大尉:内山雄二郎・金埈元(韩国军准将)
- 满州国军中佐:朴胜薰(韩国军少将)
- 中尉:池大亨(韩国光复军总司令官)
27期
编辑(大正4年(1915年)5月25日卒业,大正4年(1915年)12月25日任官,761名)
- 中将:井桁敬治(没后进级)・岩崎民男・伊藤忍・村田孝生・木下荣市・纳见敏郎(宪兵・自决)・原乙未生・绫部橘树・久野村桃代・木村松治郎・栗栖猛夫(没后进级)・四手井纲正・田坂専一・片冈董・宫下健一郎・樋口敬七郎・大前宪三郎・谏山春树・辰巳荣一・冈本清福・田中友道・大须贺应(没后进级)
- 少将:河嶋修・小野行守・中熊直正(战死)・美田千贺藏(战死)
- 大佐:东宫铁男(战死)・星实敏(宪兵)・金锡源(金山锡源・韩国军准将)・白洪锡(韩国军少将)
- 中佐:金仁旭
- 中尉:张锡伦(韩国军大佐)
- 少尉:荒木五郎・関口存男
28期
编辑(大正5年(1916年)5月26日卒业,大正5年(1916年)12月26日任官,651名)
- 中将:秋永力・池田纯久・鹈沢尚信・近藤新八(法务死)・白银重二・长勇・冢田理喜智・中西良介・松田巌・马奈木敬信・宫崎周一・森赳・山本清卫・山本健児
- 少将:一木清直・后藤十郎(共に战死による特进)・长谷川务
- 大佐:棚桥真作・芳贺豊次郎・成富政一(没后进级)
- 中佐:井置荣一(公务死)
- 中尉:冈茂雄
- 中国留学生:何应钦・朱绍良・谷正伦・贺耀组
29期
编辑(大正6年(1917年)5月25日卒业,大正6年(1917年)12月25日任官,536名)
- 王族:陆军中将李王垠
- 中将:有末精三・佐藤贤了・后藤光藏・稻田正纯・额田坦・河村参郎(法务死)・唐川安夫・中井増太郎・吉田喜八郎・土居明夫・中西贞喜
- 少将:四方谅二・谷萩那华雄(法务死)
- 大佐:安东贞雄・内山豪三郎・鸟饲恒男・长浜彰(宪兵,法务死)
- 中佐:今村久
- 中尉:和田劲(满州国陆军中将)
30期
编辑(大正7年(1918年)5月27日卒业,大正7年(1918年)12月25日任官,632名)
- 中将:中川州男(2阶级特进)・矶村武亮(1阶级特进)
- 少将:伊藤铃嗣・高嶋辰彦・小畑信良・山口槌夫・岩畔豪雄・铃木敬司・今井武夫・桜井德太郎・桜井镣三・石本五雄・马渊逸雄・渡边渡・隈部正美・工藤良一
- 大佐:大石正幸(宪兵)・大迫胜・冈本孝行・户根木龟之助・风间满季
- 少佐:石川祥一・井上辰雄(战死)
- 中尉:厳柱明(韩国军准将)
31期
编辑(大正8年(1919年)5月28日卒业,大正8年(1919年)12月25日任官,489名)
- 中将:有末次(没后进级)・田村义冨(自决)
- 少将:小野寺信・片仓衷・小池龙二・真田穣一郎・藤原武(没后进级)・山本茂一郎
- 大佐:大岛卓・大谷敬二郎(宪兵)・垣内八洲夫・东平作・村中四郎
- 中佐:浅井敏夫(战病死)
32期
编辑(大正9年(1920年)5月26日卒业,大正9年(1920年)12月26日任官,429名)
33期
编辑(大正10年(1921年)7月27日卒业,大正10年(1921年)10月16日任官,437名)
- 皇族:芳麿王(后に臣籍降下し山阶芳麿侯爵(陆军炮兵中尉)となる)
- 少将:松村知胜・永井八津次
- 大佐:今村方策・铃木库三・水谷一生・藤田实彦
- 中佐:杉本五郎(战死)・藤田雄藏(1阶级特进)・柴有时
- 少佐:清水清(1阶级特进)
- 大尉:浅野节・百武俊吉・山口一太郎
- 少尉:西久保豊成
34期
编辑(大正11年(1922年)7月28日卒业,大正11年(1922年)10月25日任官,345名)
- 皇族:陆军少将秩父宫雍仁亲王
- 少将:池田末男(战死)
- 大佐:赤松贞雄・石井秋穂・小尾哲三・清家武夫・武田功・服部卓四郎・松平定尧・堀场一雄
- 中佐:冈田良一(冈田光玉・崇教光玉)
- 中尉:西田税
- 中退:三好达治
- 中国:郭德权(中华民国中将・立法委员)
35期
编辑(大正12年(1923年)7月21日卒业,大正12年(1923年)10月25日任官,315名)
36期
编辑(大正13年(1924年)7月18日卒业,大正13年(1924年)10月25日任官,330名)
- 实役停年通りに昇进する闲院宫春仁王が昭和20年6月に陆军少将に昇进するが,その他の者で少将まで昇进した者は战死による特进の场合のみ。
- 皇族:陆军少将闲院宫春仁王
- 少将:岛村矩康・伊藤盛逸・铃木真雄・木村正治
- 大佐:大庭小二郎・志甫健吉・辻政信・西竹一(1阶级特进)・西乡従吾・杉山茂・冈村爱一・新藤常右卫门
- 中佐:大村纯毅
- 大尉:野中四郎
陆军士官学校本科以降
编辑37期
编辑(大正14年(1925年)7月25日卒业,大正14年(1925年)10月26日任官,302名)
- 中将:片山二良(2阶级特进)
- 少将:加藤建夫(2阶级特进)
- 大佐:井本熊男(陆将)・今冈豊・奥野一雄・亲泊朝省・解良七郎・杉田一次・林三郎・村上正一・山县有光・种村佐孝
- 中佐:朝山小二郎
- 少佐:伊藤佐又
- 大尉:香田清贞・菅波三郎・村中孝次・大藏荣一
38期
编辑(大正15年(1926年)7月16日卒业,大正15年(1926年)10月25日任官,340名)
39期
编辑(昭和2年(1927年)7月19日卒业,昭和2年(1927年)10月25日任官292名)
40期
编辑(昭和3年(1928年)7月17日卒业,昭和3年(1928年)10月26日任官,225名)
41期
编辑(昭和4年(1929年)7月17日卒业,昭和4年(1929年)10月25日任官,239名)
42期
编辑(昭和5年(1930年)7月19日卒业,昭和5年(1930年)10月25日任官,218名)
43期
编辑(昭和6年(1931年)7月22日卒业,昭和6年(1931年)10月26日任官,227名)
44期
编辑(昭和7年(1932年)7月11日卒业,昭和7年(1932年)10月25日任官,315名)
45期
编辑(昭和8年(1933年)7月11日卒业,昭和8年(1933年)10月20日任官,337名)
46期
编辑(昭和9年(1934年)6月卒业,338名)
47期
编辑(昭和8年(1933年)4月入校,昭和10年(1935年)6月卒业,330名)
- 满州国元首之弟・醇亲王継嗣:溥杰
- 少佐:石原贞吉(公务死)・上妻正康・小林友一・山口立・冢本清・野中国男(自决)・井川省(1946年在インドシナ战争中战死)
- 少尉:池田俊彦・林八郎・常盘稔・铃木金次郎・清原康平
48期
编辑(昭和11年(1936年)6月卒业,388名)
49期
编辑(昭和12年(1937年)6月卒业,471名)
50期
编辑(陆士1937年12月卒业426名)
51期
编辑(1938年12月卒业461名)
- 少佐:荒木护夫・小坂三吉
52期
编辑(1939年9月卒业508名)
53期
编辑(1940年2月卒业1365名)
54期
编辑(1940年9月卒业1799名)
- 皇族:彰常王(后に臣籍降下し粟田彰常侯爵(陆军大尉)となる)
- 大尉:小川谕(陆将补)金贞烈(香川贞雄)・高品武彦・藤井政美・村上稔夫・佐藤(战后谷崎)好弘・北畠畅男・佐々木春隆(防卫大学校教官)・冢本胜一(陆将)・驹野昇
55期
编辑(1941年7月卒业1755名)
56期
编辑(1942年12月卒业1672名)
- 少佐:阿部信弘(战死)・崔贞根(高山昇・2阶级特进,战死)・水川祯辅(2阶级特进,战死)・田中秀志(2阶级特进,战死)・出丸一男(2阶级特进,战死)
- 大尉:牛岛贞二・李亨根(松山武雄)・崔昌植(高山隆)・金锺硕(日原正人)・酒井次武
57期
编辑(1944年(昭和19年)4月卒业1268名)
58期
编辑(1945年(昭和20年)6月卒业1146名)
- 少尉:青木诚一・冈泽完治・村井澄夫・丁来赫(玉冈圣贤)・朴元锡(德田元教)・申尚澈(永田达明)・韩镛显(米原旭一)・崔福洙(佳山竜雄)・安光铢(龟村正経)・青井秀(34普连长)・山口信夫・川北博・下山敏郎・宫崎繁树・山本卓真
59期
编辑(终战后に特别に卒业资格を付与,陆士1250名)
- 昭和18年4月1日に陆军予科士官学校入校,昭和19年10月13日に予科士官学校卒业,同日に士官候补生を命ぜられ,昭和19年10月14日に士官学校入校,同日に兵长の阶级を与えられ,昭和20年1月15日に伍长の阶级に进み,昭和20年3月15日に军曹の阶级に进む。1961年に59・60期の同窗会“国史会”一部の者がクーデターを企画して破防法适用事件第1号となった(三无事件参照)。
60期
编辑(陆士1824名)
- 本科生徒たる兵长で士官学校闭校。